「ね,赤也!今日の放課後ね,駅前に新しいカフェができたらしくって,私そこに行ってみたいんだけど!」 「‥‥‥‥」 「‥赤也?」 「‥あ,悪ぃ。なんだっけ?」 「‥だから,今日の放課後,どこ行くの?って」 「ああ‥悪ぃけど,今日練習長引きそうだから先に帰っててくんね?」 「‥今日もなの?ここんとこずっとそうじゃん!」 「‥悪ぃ,大会近ぇからさ。じゃあ俺,ジャッカル先輩のとこ行ってくっから」 「‥‥‥‥」 思わず舌打ちしてしまいそうになるのにはっと気が付いて抑える。私の計画が。――これも,全部あのバカ女のせい。 あの日から幸村先輩は私を気遣ってくれているようで,今まで以上に優しく接してくれた。初めてのキス。何だか心臓がきゅーっと締め付けられたような感じになって,じんわりと温かくなった。そして,昨日は初めてデートをした。デートどころか赤也以外の男の人と遊びに出かけること自体初めてで,しかもこんなに素敵な幸村先輩とだから緊張しすぎて死ぬかと思ったけど,幸村先輩は優しくて,最初から最後まで紳士だった。幸村先輩はとっても優しい。本当にかっこいいし,好きだと思う。――なのに,どうして,こんなに赤也のことがひっかかって,胸が痛いんだろう。 こんなに私に優しく接してくれる幸村先輩にひどいことをしていると思いながら,あの日の赤也の態度が気になって仕方なかった。どうして赤也はあんなに怒っていたんだろう。会ったこと自体,久しぶりだったはずなのに。大体どうして急に一緒に帰ろうなんて言ってきたんだろうか?あの日は小原さんと一緒に帰れなかったから?私が赤也の誘いを断らなかったら,あんなに赤也を怒らせることもなかったんだろうか。――わからない。もう今更あのときには戻れない。どちらにしろ,幸村先輩の先約を断るという考えは私にはなかった。 あの後から周りが何となく私を避けている気がして(さわらぬ神にたたりなし,ということだろう),何となく教室や2年の教室棟には居づらかったけど,3年の教室棟に行くと幸村先輩やそのつながりで丸井先輩たちが気軽に話しかけてくれたりした。私はほとんど幸村先輩と過ごす時間のために学校に来ているようなものだった。 「やっば!気付かなかったけど次体育じゃん!早く着替えて行かないと!」 「次体育なんだから授業早めに,せめて時間通りに終わらせてほしいよねー」 「ほんとほんと!あいつ時間のこととか考えてなさすぎ」 またぼうっと赤也と幸村先輩のことを考えている間に授業が終わってしまっていたようだった。私は急いで体操服に着替えて,グラウンドに向かった。 「あっ!いった!」 たまたま近くにいた同じクラスの女の子がボールをキャッチできなくて突き指をしたようだった。 「あ,大丈夫?」 「うーん,結構痛いかも‥保健室行こっかな。ね,さん,ついてきてくれない?」 保健委員じゃないんだけどな,1番近くにいたの私だからかな,と,特に何の疑いもせずについていくことにした。 「あ,うん。いいよ」 その子は先生から見えない辺りまで来ると,急に私の腕を掴んで引っ張ったまま進み始めた。その力が結構強かったから,不思議に思っていたのだけど,どんどん保健室じゃない方向に進みだしたから私は焦った。 「え?ちょっと待って!保健室あっちだよね?何で?」 私の言葉は完全に無視されたようで,彼女は前へ前へと進んでいった。彼女の足が止まったのは,通常の学校生活を送っていたら来ることはないような人けのない場所。「え‥ちょ,」,私の言葉は聞かずに彼女は元来た道を走って戻っていった。状況が呑み込めなかったがとりあえず私もグラウンドに戻ろうとすると,十人くらいの女の子の集団が立ちはだかっていた。立海はマンモス校だからあまり知らないけれど,たぶん同じ学年の人。中には何人か同じクラスの子もいた。 「あんたさあ,どういうつもり?」 その言葉にもその目にも明らかな敵意がこもっていて,私は恐怖を感じた。心当たりが全くない(話したことすらないと思う)のが,さらに恐ろしかった。 「どういうつもりって‥?何のこと?」 「とぼけないで!幸村先輩のことよ!」 「あんた幸村先輩のなんなわけ?」 思わず敬語で話してしまいそうになったことに気が付いてやめた。もしかして,幸村先輩のファンなのか‥?と考えた。この人たちは幸村先輩のファンで,私が最近一緒にいるみたいだから,文句を言われているのか?とは思ってみたものの,いまどきこんな少女漫画でも見ないようなシチュエーションに,自分が置かれていることに私は本当に困惑した。今度口を開いたのは,同じクラスの人だった。 「私たちが聞いたときは,付き合ってないとか言ってたくせに!」 そうだ,以前幸村先輩が私を教室まで訪ねてきてくれたときに話しかけてきた人たちだ。あのときは思いもしなかったけれど,まさか心の中でこんなことを考えていたんだろうか。けど付き合ってないのは本当だし,どうしたらいいか本当に困ってしまった。 「え‥ちょっと待ってよ,私本当に幸村先輩とは‥」 「とぼけないでっていったでしょ!何でそんなしょうもないうそつくわけ?!」 「そうよ!しかもあんた切原くんまで誘惑するとか,人間として最低!」 え‥? 「そうそう!切原くん,百花ちゃんと付き合ってるんだよ?!何あいだに入って邪魔しようとしてんの?」 ちょっと待って‥! 「てかもともとあんた切原くん好きなんでしょ?そのくせ切原くんとられたからって幸村先輩誘惑とかまじキモい!」 「おとなしくしてればいいのに」 「ねー」 「ちょ‥ちょっと待って!赤也を誘惑って何のこと?私ぜんぜんわかんな‥」 私がようやく言葉を発すると,みんな目の色を変えてまくしたてた。 「てかまだ赤也とか呼んでんの!ふられたくせに!」 「まじ未練がましいんだけど」 「今百花ちゃんと付き合ってるんだよ?百花ちゃん,あんたの存在にまじ迷惑してるんだけど」 「てかしらばっくれないでよね!後ろめたいことがあるから付き合ってること隠してるんでしょ?」 「昨日幸村先輩とデートしてるとこ,見た子いるんだけど。それでもまだ嘘つくわけ?」 「てかさ,切原くん誘惑してたけど突き飛ばされて,失敗しちゃってまじウケるー!」 「そうそう!てかあんたなんか幸村先輩が気に入るわけないじゃん!現実見たらー?」 会話にならないし,やむことはない罵声に涙が出そうになった。ダメだってわかってるのに,こんなとき思い出すのは――やっぱり,赤也の笑顔だった。 「おいお前ら!何こいついじめてんだよ!さっさとどっか行けよ!」 「げっ!!赤也だ」 「何だよ赤也,てめえだっていっつもこいついじめてんじゃねえか!」 「何言ってんだよ,こいついじめていいのは俺だけなんだよ!さっさとどっか行け!じゃねえとぶん殴るぞ!」 「何だよこいつ!しゃあねーとっとと逃げるぞ!」 私が男子にちょっかい出されていたら,必ず駆けつけてくれるのはほかでもない赤也だった。そのあと半べそをかいてる私に向けられるのは,決まって赤也の笑顔だった。 「ほら,帰ろうぜ!俺んち来いよ!日曜日新しいゲーム買ったんだ,一緒やろうぜ!」 差し出された手を握ると,赤也はさらににぱっと笑う。それを見て私も自然に笑顔になって,手をつないだまま赤也の家へと向かった。 思い出すだけで心が温かくなるような,幸せな思い出だった。けれどもうお互いに子供じゃないし赤也が来てくれるわけなんてない。もしかしたら,もうこのまま話すこともなくなってしまうのかもしれない。幸村先輩だって,今授業中だろう。――何とかして自分でこの場を切り抜けなければならないと思った。すると,急にみんなの声色が変わった。 「百花!」 「百花!」 「待ってたよー」 びっくりして顔をあげると,思わぬ来訪者に目を見開いた。よく知っている。アイドルみたいな可愛い顔,赤也の彼女,小原百花だった。どうして小原さんが?と思ったけれど,「待ってた」ということは,彼女ももともと来る予定だったんだろうか。今まで混乱して状況が飲みこめていなかったけれど,きっとあのけがも最初から全部計画されていたことで,ここで私を問い詰めるつもりだったんだろう。何にも気づかずについてきた自分を情けなく思いながら,それでもやっぱり解せなかった。――どうして小原さんが?この人たちは幸村先輩のファンだか何かで,私に言いたいことがあるんだろう。けれど小原さんには赤也って彼氏がいて幸村先輩は関係なさそうだし,赤也を誘惑だなんて話も完全なでっちあげだし。小原さんはみんなに「ごめんねー」なんて可愛い声で謝って通り過ぎた後,私の1番真ん前まで歩いて来て立ち止まった。 「さん」 私の名前を呼ぶ小原さんの声はやっぱり可愛くて,にっこり笑った顔もすごくかわいくて,赤也が惚れちゃうのも仕方ないなとちょっと落ち込んだのだけれど,ふとかち合った瞳があまりに冷たくて,それは私がそれまで持っていた小原さんへのイメージとも,赤也から聞いていた小原さんのイメージともどちらとも似ても似つかなくて,私はぞっとした。 「赤也に何したの?」 「え‥?」 小原さんからは明確な敵意が伝わってきた。今自分が置かれている状況が全く理解できないけど,小原さんが来るまでよりやばい状況になったことは手に取るようにわかった。 「だから,赤也に何したの?って聞いてるんだけど」 「私‥何にもしてないよ?」 「だってしばらく連絡さえ取ってなかったし」,と私が続けた言葉はちゃんと彼女たちに届いたのだろうか,わからないけれど,小原さんの隣にいた女の子が私の言葉で目の色を変えた。 「だからとぼけるなって言ってんでしょ!」 彼女は力任せに私をどついてきて,私は突き飛ばされた。後ろにあった金属板のようなものに当たってがんっ,と音がした。 「私‥さんのことずっとずっと嫌いだったの」 固まってしまった。いや,今まで特に関わったこともない人だし,それほどショック,というわけではない。けれどやっぱり身に覚えもないのに嫌われたくはないし,少なくとも私は小原さんに対して悪い印象はなかった。 「そんなこと気づかずにいつもいつもへらへらして‥やっぱり嫌い,本当に大嫌い!」 彼女ははっきりと「大嫌い!」と叫んだ。そして私は今度こそ思い切り突き飛ばされ,思い切り後ろの金属板に当たった。背中があまりにも痛くて,思わずうめいてしまった。痛い‥。痛いけど,この状況をどうにかしないと,今度は心も体もぼろぼろにされてしまいそうな気がした。別に話したこともなかったと思うしあまり知らないながらも,こんなに感情的な小原さんを初めて見た。けど,ここで感情的になったのは小原さんだけではなかった。彼女の発言はあまりにも私にとって衝撃的だった。 「私,ずっとずっと幸村先輩が好きだったのに!!」 「‥え?」 時が止まったような気がした。まず聞き間違いだ,そうに違いない,と思ったけれど,どうやら何にも間違いはないらしかった。 「私,あんたなんかよりずっと昔から幸村先輩が大好きだったのに!!何回も告白したのに,でも何回告白しても断られて!!最後に告白した時に聞いたの,『幸村先輩には好きな人がいるんですか?だから私と付き合ってくれないんですか?』って!!そしたら,そうだって言うから私『その好きな人を教えてくれたら諦めるから!』って何度も何度もお願いしたの!!そしたら‥」 「‥そんなに知りたいのかい?」 「はい!私本当に幸村先輩が好きなんです。お願いします,教えてください!」 「‥仕方ないな。君の学年にさんっているだろ?俺は彼女が好きなんだ。だから申し訳ないけど,君とは付き合えない」 (‥!!) 話したことはなかったけど,のことはそれなりには知っていた。 私は別に思わないけど,まあそこそこに可愛いらしい。ただのがきにしか見えないけどね。それに成績も優秀で真面目な明るい子らしい。別にどうでもいいけど。幸村先輩と同じテニス部レギュラーの,私と同じクラスの切原と付き合ってるらしい。まあ切原なんてお子ちゃま,私にとってはどうでもいいから好きにしてって感じだけど。がきんちょ同士仲良くやっててって感じ。 けれどここからは私に非常に関わってくる問題だった。以上の理由から,なんだか男子からの人気が高いらしい。切原がいるのに?なんて思ったが,切原に一途な感じがこれまたいいらしい。ばっかじゃないの。まだ恋愛未経験なおこちゃまなだけじゃない。今までの私はあらゆる男という男からモテまくってきたのに,中学に入ってそうでもないのはきっとこいつのせいだろうと思っていた。かなり面白くなかったので,私はもともとこの女があまり好きではなかった。そして今回決定的な出来事が起こってしまった。 今までなら自分から告白する前には相手を惚れさせていた。けれど幸村先輩だけはどんな手を使ってもなびいてくれそうな気配さえもなかった。だから私は告白することにしたのだ。私の告白を断るはずがない,このときはそう思っていた。なのに断られた。まだ私のことをよく知らないから断るだけなんだ,私の気持ちが伝わったらきっとOKしてくれる,そう思って何度も何度も告白したのに――結果はすべて惨敗だった。その理由が‥あの女?私の方が絶対可愛いのに。だいたい切原と付き合ってるんじゃん!何で切原だけで満足しないわけ?私の中でに対する憎悪が渦巻いた。 「さん‥?でもさん,切原くんと付き合ってるじゃないですか!」 嫉妬に耐えきれずに言った私の言葉を聞いて,幸村先輩の優しかった目がすっとすぼまった。 「‥だったら何なんだい?」 「それでも私よりさんの方がいいっていうんですか?!」 「‥そうだね」 さっさと諦めるべきだったのに,ここからはきっと幸村先輩への愛情云々よりは意地だった。なんとしてでも私は幸村先輩を自分のものにしたかった。 「私はそれでも構わないですから!好きになってもらえるよう頑張りますから!」 「‥申し訳ないけれど,俺は君を好きになることはないよ」 私のプライドはずたずたに引き裂かれた。呆然と立ち尽くす私を気にも留めず,幸村先輩は私の隣を通り過ぎて,帰っていった。私があんな女に‥負けた?‥むかつく。むかつくむかつくむかつく!!!絶対に仕返ししてやる!! 「だからばかな赤也をものにしてあんたに仕返ししてやるつもりだったのに!!それで赤也をダシにして幸村先輩に近づいてやるつもりだったのに!!何で幸村先輩取るの?!赤也だって‥何か変!!赤也,私のこと大好きなのに‥」 赤也と付き合えたのはよかったものの,寝ても覚めても大嫌いなの話で殺意が沸くほど嫌気がさしていた。そろそろ赤也が私から離れられないほどメロメロにしなきゃいけないのに,何をしようと,赤也は私のことなんて見ていなかった。赤也なんてどうせがきだからキスして一発ヤらせたら私から離れられなくなるのに,私がどんなに頑張って唇をぷるぷるにしようとも,露出度の高い服を着ても,一向に行為に及ぼうとはしてこなかった。私は耐えきれなくなって,二人きりの時にキスをしようとした。 「‥!あ,悪ぃ!」 避けられた‥!意味が分からなかった。この年頃の男子が彼女とキスしたくないわけがない。しかもその彼女はびっくりするくらい可愛いこの私だ。だから私は次チャンスがあれば無理やりキスすることにした。そして間もなくチャンスはやってきた。一緒に帰るとき,下駄箱で靴を取るとき。靴箱が近いから顔が近くに来る。私はそのとき,キスをした。 「‥‥‥!」 私は目をつぶりながら,赤也が今頃顔を真っ赤にしてさらに私に惚れ直したところを想像した。しかし,顔は瞬く間に離された。 「おい,大丈夫かよ?」 私は驚いて目を開けた。この童貞,どうやら私がこけたかなんかしたのかと思ったらしい。何より私は思わず眉間にしわが寄りそうになった。‥ぜんぜんうれしそうじゃない!! その日はなんだか気まずくて,あまり会話も弾まなかった。こんな予定じゃなかった‥!赤也が喜んで,私が「今日家行ってもいい?」なんて誘って,(赤也にとっての)初体験でも済まして,「俺まじで百花が好き!」ってなるはずだったのに。 そして,それなりに楽しく付き合いは続けていたものの,赤也はどんどんおかしくなっていった。 「最近に会ってねーなー。なあ百花,今日もと一緒に帰っちゃ‥」 「だめって言ってるでしょ!!」 「‥へいへい」 に会いたくてたまらないようだった。私というものがいるのに!私のプライドが絶対に許さなかったから,あの女とは絶対に連絡を取らないようにさせてたけど,それでも私の怒りは収まらなかった。そして,ある時を境に,赤也は私を見向きもしなくなった。 「ねー百花,知ってる?」 「なんのこと?」 「切原くんのこと!なんかと廊下でけんかしてたらしいよ?」 ちょうどそのころ,悪友(を嫌っている同盟だ)が赤也とあの女の話を持ちかけてきた。だから赤也はあんな態度を私にとってくるんだ‥!私は思った。きっと赤也の頭の中はあの女のことでいっぱいなんだろう。私は唇を思い切りかんだ。 「てかさ,あいつ幸村先輩と付き合ってるんだってさ」 「!何それどういうこと?」 私は驚いた。信じたくはないけど幸村先輩はにご熱心みたいだから,今この状況でそうなるのは別におかしいことじゃない。現に一緒にいるところを割と多くの人間に目撃されているらしかったので,私は腸が煮えくり返りそうだったけれど,あいつのクラスの私の友達(っていうか,ほとんど下僕だけどね)に聞きに行かせたら,ぜんぜんそんなことないとか言ってたらしいから,あいつがきだしそんなことちんぷんかんぷんって感じだったからノーマークだった。 「みんなには付き合ってないよーとか言ってるらしいんだけどね,どう考えても付き合ってるとしか思えないってみんな言ってる」 「だってそのけんかのときも幸村先輩を助けにきたらしいよ!すごいタイミングで」 「てか幸村先輩かっこいいのに趣味悪いよねーあんな女とか!」 「百花の方が絶対可愛いのにね!」 そんなこと言われなくてもわかってるけど,私は焦った。幸村先輩とあいつが?あいつ赤也が好きなんじゃないの?完全に計算間違いをしていたようだった。このままでは計画がおじゃんになってしまう! 「しらばっくれてないで幸村先輩と別れなさいよ!それで赤也とも縁を切って!!そうじゃないと私‥」 「‥何それ」 小原さんの話はあんまりにも衝撃的だった。 「だから!幸村先輩と――」 「そうじゃない!!!」 思わず声を荒げてしまった。これには全員かなり驚いたようだった。というか,正直私自身驚いていた。私は普段全くといっていいほど怒らないのだ。本当に生まれてから怒ったことないんじゃないか?というくらい怒らない。感情的になるくらいなら,自分の感情を抑えつけてしまう。けれど‥これだけは絶対に許せなかった。 「私を嫌な気持ちにさせるためだけに赤也と付き合ったってこと?」 「何よ赤也赤也って!!赤也の彼女は私よ,気安く赤也なんて‥」 「赤也をダシにってどういうこと?幸村先輩と付き合うために赤也を利用しようとしたってこと?!」 「何よ!!何か文句あるの?!」 「あるよ!!今すぐ赤也に謝りに行って!!」 「はあ?!意味わかんない。何で私が赤也に謝らなきゃいけないわけ?!」 赤也の笑顔がちらついて,泣きそうになったけど,こんな奴の前で絶対に泣くもんかと思った。 「赤也のこと何にも知らないくせに,傷つけないで!!」 「‥!」 ばしい,っという強い音が辺りに響き渡った。一瞬麻痺してしまったのか,少し時間を置いてからじわりじわりと頬に痛みが広がっていった。たぶん思いっきり叩かれたから,すごく痛かった。それでも私は負けたくなかった。 「赤也赤也ってまじうぜー!!黙れっつってんだろ,赤也の彼女は‥」 小原さんがもう一度高く手を振り上げた。二度目が来る‥!覚悟をして,私は目をぎゅっとつむった。 「‥!」 しばらく空気が硬直していた。もちろんまた叩かれると思っていた私は,なかなか降ってこない平手に不思議に思い(もちろんそっちの方がいいんだけれども),薄く目を開けた。 小原さんの手は高く振り上げられままだった。どうしてその手を振り下ろさないのだろう?ついでに小原さんの顔はさっきの怒りに狂った顔ではなく,――どちらかというと恐怖におびえているような顔をしていた。私はいぶかしく思った。どうして?よく見ると,小原さんの振り上げた腕は,誰かに強くつかまれていた。 私は大きく目を見開いた。 「‥何やってんだよ」 何で?どうして?そんなはずはない。 「‥な,なん,で‥」 「だから何やってんだ,っつってんだよ」 私は何にも声を発することができなかった。 「ち,違うの,これはね,その‥」 「そそうだよ切原くん!勘違いだよ!ちょっと話し合いしてただけなの!それでヒートアップしちゃって」 信じられなかった。夢なんじゃないかと疑ってしまう。だってこれは,さっきもうこんなこと二度とないのかもしれないって思ったばかりのことだった。 「しらばっくれてんじゃねえよ!!お前らこいつに何やったんだよ!!」 私の目の前には,目を真っ赤に充血させて小原さんの腕を掴む,赤也がいた。 back top next |