「えーなんで,わたしたちだけここなのー?」
「いいからいいから!みんなとおなじとかたのしくないじゃん!」


ここ最近毎日見る夢がある。


「‥よしっ!」


何とも言えない空,これはたぶん3月の空,大きな木,大きな影,その中の二つの小さな影,それはたぶんせっせと土いじりをしている赤也を隣で眺めている私。ぼんやりと霞んだ景色の向こうに見えるのは,小さい頃の赤也の変わらない笑顔。


「―――――――」


赤也が何か言ってる,でも聞こえない,けど,私これ赤也が何を言ってるかたぶん知ってた。でもわからない,覚えていない,なのにすごくそれが重要なことのように思えるのだ,けれど思い出せない。


「あかや,きこえないよ,ねえ,あか――」


ここでぐわんと暗転して,画面は校舎の片隅で楽しそうに笑い合う赤也と小原さんに切り替わる。


「――!」


ここで目が覚める。そして頬には一筋の涙が伝っている。今日も朝がやってきた。









――ピロリーン♪ピロリーン♪


「‥あっ幸村先輩だ」


あの日は結局幸村先輩のお言葉に甘えて,家まで送ってもらった。必死で断る私に,幸村先輩はあの柔和な笑顔で有無をも言わせなかった。さりげなく先に行ってドアを開けたまま(あの美しい笑顔をたっぷりと浮かべて!)待っていてくれたり,さりげなく道路側を歩いてくれたり,私がよろめくとさっと腰を抱きかかえてくれたり,でも少しも不快感はなくて,たった一学年しか違わない幸村先輩の紳士っぷりに私は驚くばかりだった。
赤也なんかと比べるのも幸村先輩に失礼だし,赤也も幸村先輩と比べられるのはたぶん気分が良くないだろうが,ついつい心の中では思ってしまうのだった。あの細やかさが赤也に1ミリでもあったらなー,と。


あの日,私の家の前に着いて,どんな用事でもいいからいつでも連絡してね,と笑顔で言う幸村先輩の連絡先が私の電話帳に1つ増えてからというもの,幸村先輩とのメールは私にとっての日課の1つになっていた。

『おはよう。今日も1日がんばろうね』

の朝6時に受信するおはようメールや,

『昨日柳生が練習終わりに仁王の格好のまま歩いていたら,1年生の女の子がてっきり仁王だと思ってしまったみたいで,告白されたんだって』

といった他愛もないメールに,しばらく暗かった私自身も随分元気づけられていた。


『あれからしばらくさんを見かけてないけれど,体調はよくなったかな?何かあったらいつでも俺に話してね。必ず力になるから』


こうして何でか私を気にして労わってくれる幸村先輩の優しさに,私は心の底から感謝した。あんな人気者の幸村先輩が,全く理由はわからないけれど,私みたいなのを見て,私みたいなのを気にしてくれて,私みたいなのとメールのやりとりをしてくれている。私は時々赤也と小原さんが付き合ってるという現実に引き戻されながら,毎日夢見心地な気分で過ごしていた。


そして,いつものように,赤也と小原さんに会わないよう,帰りのHRが終わった瞬間即下校しているときだった。


「やあ,さん。久しぶりだね」


校門付近まで進んで行くと,何だか歩いている女子みんなが顔を赤くしたりはしゃいだりしていて不思議に思っていると,校門のところに男子生徒が1人たたずんでいた。その立ち姿がすごく美しくて,女の子が騒いでるのはこの人のせいかな?と思っていると(ちなみに私はそんなに視力がいい方ではない),声をかけられた。


「ゆっ‥幸村先輩?!」


本当に驚かされた。先ほどまでメールのやりとりをしていたばかりの幸村先輩だった。こんなところで立っているということは,誰かを待っているのだろうか?部活じゃないのかな,と思ったけれど,以前患った病気のために定期的に病院に通っているようだったので,今日も病院に行く予定があるのかもしれない。
とにかく私は,こんなに優しくてかっこいい幸村先輩のことだ,こんなとこで待っているなんて相手はきっと彼女だろう,だったら私と話しているのを見られるのはよくないと思い,挨拶もそこそこに立ち去ろうとした。


「お疲れさまです。誰か待たれているんですか?」
「うん,そうだよ。特に約束してたわけじゃないんだけど,会えたらな,と思って待っていたんだ」
「無事会えるといいですね。では,失礼します」


ぺこりとおじぎをして立ち去ろうとすると,幸村先輩がよりにこやかに笑った。


さんは,面白い人だね」
「へ‥?」


さっさと退散するつもりが,“面白い”というめったに言われることのない言葉で立ち止まってしまった。面白い‥?もしかして何か顔についているのだろうか?!先ほどトイレで鏡をチェックしたときは大丈夫そうだったのに!それとも何か変なことをしでかしてしまったのだろうか。よりにもよって幸村先輩の前で!


「俺が待っていたのは,さんなんだけどな」


一瞬時が止まり,沈黙が流れた。そして冷静になって考えてみて,心の底から驚いた。


‥‥‥‥‥ええええええーーーー???!!


「ええええーー??!!」
「ふふ,やっぱりさんは面白い人だね。そんなに驚くことかな?」


あまりの衝撃に,心の声だったはずなのだが思わず大きな声をあげてしまったらしく,周囲の視線を感じ,恥ずかしくなって縮こまった(ただでさえ幸村先輩と校門なんて目立つところで話しているだけで視線を痛いくらい感じているのに!)。私を驚かせた張本人の幸村先輩は,そんな私を見てくすくす笑っていた。


「え,な,なな,何でですか‥?どうして‥?」


先ほどまでにこにこ笑い楽しそうだった幸村先輩の表情が,さっと悲しそうに歪んだ。


「どうしてって‥もしかして俺と一緒に帰るのは嫌だったかな?」


私はそんなこと微塵にも思っていないので(滅相もない!),必死に否定した。こんなに優しい幸村先輩を傷つけてしまったかもしれない!!そんなのは絶対に嫌なので,私は本気で慌てて否定しつつも,心の底でもう一度大きく驚かされた。一緒に帰る‥?!待っていたって,ちょっとお話しするだけとかじゃなくて,幸村先輩と一緒に帰る?!


「いえ,ぜんぜんそんなことありません!っていうかむしろすごくうれしいです!」


その言葉で幸村先輩の先ほどまでの悲しそうな顔が一気にふっと綻んだ。そしてそれを見た私が安心する様子がおもしろかったのか,くすくす笑った。


「ふふ,それならよかった。メールはしていたけれど,しばらくさんの顔を見ていなかったから,元気にしているかどうか心配になって」


どうやら先ほどのメールの延長だったらしい。幸村先輩の気遣いがとてもうれしかった。けれど,メールくらいならばともかく,一緒に帰るとなると彼女さんを嫌な気分にしてしまうかもしれないし,幸村先輩に迷惑がかかる。


「迷惑だったかい?」
「あ,いえ,私は全く迷惑とかじゃないんですけど,‥幸村先輩は大丈夫なんですか?」
「どうして?俺がさんと一緒に帰ることで,俺に迷惑がかかるわけがないじゃないか」
「あ,いえ,えっと‥部活,とか」
「今日は病院に行くから,部活は真田にまかせているんだ。それに予定時刻までもまだまだ時間はあるから,さんが気にすることは何にもないよ」
「あ,それだったらいいんですけど,えっと,その‥」


うう,“彼女”と言いづらい。けれど仕方がないから言うことにした。


「先輩の彼女さんは怒ったりしないんですか?」


幸村先輩はきょとん,として,またにこやかに笑った。


「彼女だって?俺は誰とも付き合ってなんかいないよ」


俺はずっとテニスに一生懸命だったし,しばらくは入院して学校にもあまり来ていなかったからね,と幸村先輩は続けた。彼女はいない,と聞いて,勝手に早とちりをしてしまっていたことをとても恥ずかしく思い,勝手に彼女がいることにしていた幸村先輩に対しとても悪く思い,私の頬は真っ赤になった。そして,心臓が一瞬,とくん,と跳ね上がり,「さんはいろんなことを気遣うことのできる優しい子だね」と笑う幸村先輩に,もう一度とくん,と跳ね上がった。この感覚が何なのか,私は知らなかった。





「ふうー‥」


お風呂に浸かって,今日一日の,そして最近の非日常のような日常を思い返してみる。まさしく夢のような時間だった。



「‥それでね,真田が相手の女の子をたるんどる!って一喝したら,びっくりしてしまったのか,相手の女の子が泣き出しちゃって。それがたぶん1年で,小柄な感じの女の子だったんだけど,真田が慌てて慌てて」


あのあと幸村先輩と一緒に下校することとなってしまった私は,今日も結局,申し訳なかったが,送らせてくれと笑顔で言う幸村先輩の好意に甘えることにした。周囲の女の子たちからの視線があまりにも痛かったが,幸村先輩が人通りの少ない道を選んでくれたので助かった(もしかしたら気付いてくれていたのかもしれない)。幸村先輩はとても大人で落ち着いているのだが,お話がとても面白くて私はずっと笑っていた。


「ふふ,よかった。さんが楽しそうに笑ってくれて」
「幸村先輩のお話がすごく面白いからですよ」
「それならよかった」


幸村先輩と過ごしている間は本当に久しぶりに心から笑えていて,幸村先輩はそんな私を見て(もしかしたら,変なことを言ったりしたりしてしまったかもしれないのに!)笑顔を始終崩さなかった。その懐の深さに,私は心から幸村先輩を尊敬した。


家のすぐ目の前で別れる時,ありがとうございました,とぺこりとおじぎをして家に入ろうとする私を,「さん,」と幸村先輩が呼びとめた。振りかえると,先ほどまでの柔和な微笑みとは違った真剣なまなざしの幸村先輩に,もう一度胸がとくん,と揺れた。


「またよければ,明日も送らせてもらってもいいかな?」


驚きすぎて固まった私がうまく呼吸できないなりに発した「い,いえ,こちらこそよろしくお願いいたします!」,という言葉を聞いて幸村先輩はまた優しくにこりと微笑んだ。





お風呂から出て,幸村先輩にすぐにメールした。本当は家に入ってからすぐした方がいいのだろうか,メールのタイミングをすごく悩んだけど,結局少し時間を置いてからメールすることにして,時間潰しとしてご飯とお風呂を速攻で済ませた。


『こんばんは。家まで送って下さって,本当にありがとうございます。明日も楽しみにしています。よろしくお願いします』


返事はほんの数分できた。


『僕の方こそ楽しみにしているよ。よろしくね』


幸村先輩の笑顔を思い浮かべて,自然と顔が綻んだ。








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