-- Side Yellow --



これがいわゆる一目惚れというものなのだろう,桐皇対海常の試合終了後,桐皇のベンチ周辺をちょこちょこと駆け回りタオルやスポーツドリンクを渡す小さな女の子に,一瞬で心を奪われた。 試合後の疲労感も全て吹っ飛びそうなほどの衝撃だった。それまで俺に言い寄ってきた女の子たちが全て霞んで見えてしまうほど,猛烈に心惹かれた。 何より,俺が心臓をわしづかみにされたのは,一通り配り終えた彼女が最後に青峰っちのところへタオルとスポドリを持って近づいて行った時だ。 耳まで真っ赤に染めて,俯いて緊張した面持ちでいそいそと差し出す彼女といったら,今時の女子高生では考えられないほど清純で清らかだった。 青峰っちが目も合わせずに小さく「サンキュ」,と応えると,大きく目を見開いた後に,今度は心底嬉しそうに,まだあどけなさの残る愛らしい笑顔でふわりと笑った。 その時ふと感じたのだ。あの笑顔が,俺に向けられたとき,俺はどれほどの幸福感に包まれるのだろうかと。 同時に心の奥底でどす黒い感情が渦巻いたのも感じた。どうしてあの笑顔を独り占めしているのが,俺ではなく青峰っちなのだろうかと。 ――あの笑顔が俺だけのものになった時,どれほどの快感を得ることができるのだろうか。 そしてそれは彼女に心奪われた末のふいに浮かんだ出来心故の行動だった。深い意味はなかった,ただそうしてみたくなったから,携帯のカメラでつい,その愛らしい瞬間を収めてしまったのだ。 悪気はなくてもこれは隠し撮りという最低な行為だと脳内で警鐘が鳴らされていたにも関わらず,俺はそんな考えを頭の片隅に追いやって,もう一度,二度,三度とシャッターを押した。 悩んだ末に彼女が青峰っちを気にかけている今はまだ時機ではないと,特に話しかけることはせず,あとでそれとなく彼女が誰なのかを桃っちに聞いた。 ちゃん,桐皇学園1年,バスケ部マネージャー。成績優秀な優等生,明るくあどけなさの残る愛らしい顔立ちで,みんなの人気者。 お嬢様でちょっと世間知らずなところも,また可愛らしい。うん,イケメンでモデルやってて,バスケの才能溢れる俺の彼女に,ぴったりの女の子だ。 他の男に取られないよう気にかけながら,ゆっくりじっくり時間をかけて,彼女を落としていこう,静かにそう心に決めた。



うん,可愛い。やっぱり俺の目は間違っていなかった,周りにいる,他の誰よりも可愛い。あまりの可愛さに,思わず笑みが零れた。 ジャージにポニーテール姿のちゃんも可愛かったけど,着崩すことなくきちんと整えられた制服に身を包んだ,艶やかなストレートの黒髪ロングのちゃんも,本当,すっごく可愛い。よほど何か面白いことがあったのか,大きく笑った彼女の輝く瞬間を,一瞬たりとも逃すことのないよう,何度も連続で切り取った。 ほんの出来心で始めたことが,いつの間にか俺の日課となっていた。神奈川と東京,決して近いとはいえないこの距離も,君に会えるためだと思うと,何一つ苦ではない。 今日も満足行くほど彼女のコレクションが増えた。俺は幸福感で満たされながら,帰路に着いた。 自宅に帰ったら,まず一番にすることといえば,決まっている。 桐皇戦の終了後,家に帰って一息ついて,彼女の愛らしさを頭の中で思い描いた俺は,急に彼女が恋しくなり,携帯のアルバムを開いた。 写真の中で頬を真っ赤に染めた彼女に見蕩れて,つい拡大してくまなく見物した。大きな黒目がちの瞳,くりんと上がった睫毛,ぷっくりと膨らんだ桜色の唇,ああ,本当に可愛い。 体中が倦怠感でいっぱいなはずなのに,気付けば下方に,著しく元気になっている自分の分身が存在していた。 そしてその日,戦利品数枚をオカズに,俺は自分の欲を吐き出した。 むしろ汚らわしく感じていたその行為自体がそれほど好きというわけでもなかったはずなのに,全身を更なる倦怠感が襲うかと思いきや, それまでに感じたことのないほどの体中を駆け巡る快感に,俺は虜になってしまったのだ。


「‥はぁっ‥」


写真の中のちゃんは,先ほどまでと同様に,笑顔が本当に,本当に,眩しい。 この笑顔を,俺だけに向けてほしい。君の全てを,俺だけに捧げてほしい。このさらさらな髪を撫でたい,壊れてしまいそうなほど華奢な体躯を抱きしめたい。 潤んだ唇を貪り尽くしたい。もし,君と俺が付き合ったとしたら,いつか俺と一つになってくれますか? その時この少女性を強く感じさせる表情は,艶やかな女の顔に歪むのか。 頭の中で思い描く君はあまりにも神聖で,そんな君を汚す大いなる背徳感に苛まれながら,俺はまた大量の欲を吐き出した。 背徳感に襲われた後の快楽は本当に麻薬のようで,俺はすっかり中毒になっているな,もし勧められたとしても俺には麻薬は必要ないなと,働かない頭でぼんやりと考えた。 幸福感に包まれながら,ふとスマホを見ると左上のランプの部分がピカピカと緑色に光っていることに気が付いた。 緑色は,大勢のファンの子,中でも俺の情報収集役の子のための色だ。 彼女以外の女のために割く時間なんて俺には存在しないから,電話には出ずに無料通信アプリのメッセージが届くのを待つ。


“涼太!今度の日曜日,もしオフだったら映画見に行こうよ!”
“もちろんオッケーっスよ!楽しみにしてるね!”


さも楽しみにしているかのような返信と,女が好きそうな可愛いスタンプを送ってやったら, 相手からもモテたい女が使いたがるスタンプと,さぞかし嬉しかったのだろう,もう今すぐにでも私を抱いてと言わんばかりのがつがつしたメッセージが届いた。 彼女以外の相手はどうしてこれほどまでに面倒に思えるのだろう,適当に話を切り上げて,俺はやりとりをやめた。 彼女を知ってから,俺はファンサービスの対象を主に桐皇学園の女の子たちに切り替えることとした。 彼女を手に入れるためには,遠くから見ているだけではダメだ,どうしても彼女の周囲についての情報がいると思ったからだ。 何より男関係の話だ。これほどまでに愛らしい彼女に寄りつくゴミ虫は,五万といるだろう。俺が徹底的に排除して,彼女を守っていかなければならない。 ただ桃っちばかりに聞いていたら不審に思われるため(桃っちのあの口ぶりだったら,ちゃんと青峰っちのことを応援している風だった。桃っちの見立てはてんでだめだ),てっとり早く何人もの人間から情報を仕入れるとすれば,ファンの女の子を利用するのが一番容易い。 女はおしゃべりが大好きだ,それも他人の噂が,極めつけに大好きなイケメンモデルが自分の話を親身になって聞いてくれている,女どもは,こちらとしてはそれはもう笑いが止まらないほどにしゃべるしゃべる。 どうやって聞き出すかって?けっこう簡単なんっスよ,ほら,


「ね,真奈美ちゃんのイメスタに載ってるこの子たちって,同じクラスの子?」
「あ,これー?うん,そうだよー!これは文化祭の時,みんなで撮ったやつー」
「この子とか,見たことある気がする。試合の時だったかな?バスケとかやってるんっスか?」
「ううん,この子はマネージャー!だからバスケはやってないよー。めっちゃ可愛いよね!」
「うーん,まあ,それなり,かな」
「うわー,レベルがそれなり?!さっすが,モデル!」
「まあ,好みだから。でもまあ,モテそうなのはわかるっスけど。彼氏とかいそうっスね」
「いや,それが,彼氏いないんだって!っていうかできたこともないらしいよ!桐皇来るまではずっと私立の女子校だったらしくて,男関係かなり疎いんだって。 あとね‥あ,そういえば,涼太って青峰と同じ中学で,仲良かったよねー?この子青峰のこと好きっぽくって,だから告白とかされても断り続けてるって隣のクラスの子が言ってた!」
「へー,青峰っちのことがねぇ。純情なんっスね」
「そーそー,今時珍しいくらいのお嬢様って感じの子なんだけど,当のは桃井さんのこと気にして,青峰にアタックする気とかはさらさらないんだってさ。まあいっつもあんなに二人でいられちゃねー」


とまあ,こんな具合に。そんなこんなで高3の秋口まで,彼女に浮ついた話がないことをしっかりと確認を取り, ついに俺と彼女の未来のための重要なステップとなるであろう,進路についての探りを入れなければならない。 それにあたって,駒達には十分なほどの働きをしてもらった。彼女の志望校が都内の有名私立大学のK大学であることを知ることができた。 ちょうどその頃来る日も来る日も彼女の表情が悲哀に満ちていることに気づき,気にかかった俺がそれとなく探りを入れてみると, どうやら青峰っちがバスケのためにアメリカに行くことを知り,離れ離れになってしまうと悲しんでいるということらしかった。 俺は静かにほくそ笑んだ。新しい環境,そして彼女の想い人までいなくなる。春になれば,俺にとっての千載一遇の好機が訪れる。 俺は悲しいかな成績だけならまったくもってちゃんと同じ大学なんて夢のまた夢だが,それまでのバスケでの成績とモデルをやってたことによる有名税で,大方の私立の推薦は取れると学校の先生からも言われていた。 K大学,正直かなり厳しいだろうが,何とか推薦を取ってみせる。ちゃんはおそらくきっと合格する。そうすれば,俺とちゃんとの夢のキャンパスライフだ。



‥の,はずだったのに。その後俺は無事K大学への指定校推薦を勝ち取り,ちゃんも無事K大学に合格したという情報を入手し,努力の甲斐あってようやく念願の同じ学校となった俺たちであったが, 待ちに待った入学式,マンモス校ならではの学生数の多さ故,必死に探したもののちゃんの姿を見ることさえもできなかった。 そして入学して1週間がたち,ようやくニコニコと眩しいばかりの笑顔を浮かべるちゃんをだだっ広い中庭で発見し,急いで近寄ろうとしたその時,――ちゃんの輝く笑顔の向こう,愛らしいちゃんに近寄るゴミ虫の存在に気が付いた。


「‥っ‥」


俺は思わず奥歯を噛み締めた。先を越されてしまった‥!ちゃんは,この女なんてより取り見取りの俺が一目で夢中になるほど,それはもう可愛い。 彼女に寄りつくゴミ虫どもは五万といるだろう,こうなる気がしていたから誰よりも早くちゃんに声をかけることに躍起になっていたというのに‥!! ちゃんが経済学部に入学したのは知っていた。こうなる前に,全然関係ない経済学部のオリエンテーションなどに無理やり潜り込んでちゃんに声をかけるべきだっただろうか。 あまり不自然な行動をとったら,彼女に怪しまれると思いそうはしなかったのだが,――とにかく油断してしまった。 大したことない面しやがって,お前なんかちゃんに相応しくないんだよ!!一刻も早く,ちゃんをあのゴミ虫から離さないと‥!!


「ね,ねぇ,涼太,どうしたの‥?何かすっごい怖い顔してるけど」
「‥あ,悪ぃっス。何でもねぇっスよ!」


まあいい,焦る必要はない。あんな男,俺にとって,取るに足らない,何の脅威にもならない男だ。 ちゃんは,必ず俺に振り向く。俺はちゃんの笑顔の先にいる男の顔をしっかりと目に焼き付けて,その場を離れた。



他の男のせいであれほど傷つくちゃんなんて見たくはなかったけど,これもちゃんのためだ,仕方がない。そう自分に言い聞かせて,俺は静かにぽろぽろと涙を流すちゃんに近づいた。 それはもう簡単な話だ,ちゃんに近づいたゴミ虫の居所を突き止めて(ちゃんと同じ学部学科で,プレゼミが同じグループだったらしい。一緒に何かを発表しなきゃいけないとかいう名目で,ちゃんに近づいたそうだ。許せない),俺のモデル仲間の女を送り込んだ。 簡単に色仕掛けに引っ掛かるかと思ったが,思ったよりちゃんにゾッコンだったらしく,「俺好きな人がいるので」とかなんとか言ってなかなか頑なだったようなので,ちゃんが通りかかった時に,ちゃんに無理矢理見せつけるように,キスをさせた。 ゴミ虫自身はちゃんに気づいてもいなかっただろうが,上手く行かなかった場合のことも考えて,念のためその場に俺はこっそり居合わせることにした。 ちゃんは今まで見たことないほど悲哀に顔をゆがめて,その場を走って立ち去った。 その表情を見て,ゴミ虫に少しでも入れ込んでいたのだろうかと嫉妬で気が狂いそうにもなったが,それも今日までの話,ちゃんは悪いゴミ虫に少し絆されてしまっただけで,これからは俺だけを見て,俺だけを想ってくれる,間違いない。 ちゃんの足の速さにもちろん追いつけないわけもなく,俺はこうしてようやくちゃんとのファーストコンタクトを取ることに成功した。 第一印象,最初が肝心だ。俺は今まで出したことのないような優しい優しい声色で,第一声を発した。


「どーしたんっスか?」


どうしたのかも何も,実情は実際ちゃん以上に知っているわけだが,まあこの際そんなことはどうでもいい,泣き顔を見られたくないのか振り返る気配すらないちゃんの表情が見えるよう回り込んで,覗き込んだ。


「な,泣いてたんっスか?!大丈夫っスか?!」


泣いているとは分かっていたものの,いざ泣いている表情を見ると,静かに涙を流すちゃんがあんまりにも可愛くて,俺は本当に驚いてしまった。 ずっと君を近くで見たかった,それが,とうとう叶うなんて。ああ,本当に可愛い。あまりの可愛さに,今すぐにでも,俺のものにしたいという欲が沸々と沸いてきて,それをぐっと心の奥底に仕舞い込む。 そして,ちゃんが泣いている理由さえも頭から完全に飛んでいき,その涙の美しさに,ただただ心が痛んだ。


「俺でよかったら,話聞くから。だから,泣かないで」


浮かべるのは,モデルの仕事で磨いた,俺の中でも最高の女を落とす笑顔。 ぼうっと遠くを見ていたちゃんの瞳が,ようやく俺を映した。 その瞬間,俺は言いようのない高揚感を味わった。 そして俺は,愛らしい瞳に涙をいっぱいに貯めて,心の内を打ち明けるちゃんの相談に,それはもう親身になって乗った。 ただの気休めなんかじゃない,ちゃんは本当にラッキーだったんっスよ,だってあんなイケメンでも何でもないしょうもない男に引っ掛からなかったおかげで,イケメンで誰よりもちゃんを大切に思っている,俺と幸せになれるんだから。 話を終える頃にはちゃんの表情にも,すっかりあの眩しいばかりの笑顔が戻っていて,俺は再び,ちゃんの可愛さに見惚れた。 焦らずゆっくり,ゆっくりと攻めていく。すぐには上手くはいかないかもしれない,けれど,いつか必ずちゃんを,俺を好きにさせてみせる。 そして俺は,入学してからいきなり増えていったスマホの中のちゃんのコレクションを見つめながら,多大なる幸福感に包まれて,優しい眠りについた。 その日の夜はちゃんの夢を見た。ちゃんはやっぱり,夢の中でも,可愛かった。




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