-- Side You --



「どーしたんっスか?」


涼太くんと出会ったのは,人生のどん底に突き落とされた瞬間だった。 高校になってやっと抱いた初めての淡い片思いを,思いを伝えることすら叶わないまま卒業を迎えるという苦い形で終え, 夢のキャンパスライフが始まってすぐ,初めて訪れた恋の予感を見事に打ち砕かれた,その瞬間だった。 メールで胸がきゅんきゅんするようなやりとりをして,次第に毎日電話をするようになって, 友達からも「今告ったら,あいつ絶対オッケーするって!告ってみなよー!」と茶化されるほどで, 恥ずかしくって,「そんなことありえないよー!」と否定しつつ,甘ったるい彼の様子に,とうとう私に初めての彼氏が‥?!と爆発寸前なほど膨らんでいた期待は, とっても綺麗で可愛いモデルみたいな女の子とキスする彼を見てしまったことで,あっけなく弾けて散った。 そんなときだった,背後から声をかけられたのは。振り返る気力もないまま呆然と立ち尽くす私に,彼は回り込んできて,ぎょっとした。


「な,泣いてたんっスか?!大丈夫っスか?!」


私が,泣いてる‥?自覚は無かった,けれど頬に触れると,確かに一筋の線が指に当たった。 そっかぁ,無意識の内に涙がこぼれるほど,私,傷ついたんだなぁ。 恋に焦がれていただけなのかもしれない,初めての彼氏という響きに浮かれていただけなのかもしれない, でも,ちょっとだけだったかもしれないけど,確かに,私は彼のことを好きだった。 ぼんやりとした可笑しな私の様子を彼は気に留める様子もなく,私の目を優しいまなざしで覗き込んで,語りかけた。


「俺でよかったら,話聞くから。だから,泣かないで」


ふと気付けば今まで見たことないほどの整った笑顔が目の前にあった。こんなにかっこいい人に優しくそんなふうに言ってもらえたら,私はただ頷くことしかできなかった。 その日彼は,誰もいなくなったがらんとした教室で,咽び泣きながら悲痛な心情をわめき続ける私を優しく優しく受け止めてくれた。 彼は,「そんな最低な男と付き合わなくてよかったじゃないっスか!むしろめちゃめちゃラッキーだったんっスよ!これからいくらでも素敵な男と幸せになれるってことっス!」と親身になって励ましてくれた。 「例えば俺!とかね!」とジョークで笑わせてくれることも忘れず,思わず吹き出した頃には,私の気持ちもだいぶ落ち着いていた。 そしてふと思い出したのだ,名前も知らないどころか初めて会った人だと思っていたが,何となく見覚えがあると。 桐皇のマネ時代,私はさつきちゃんと違ってたぐいまれなる能力を持っていたわけでもなかったため,主に裏方の仕事ばかりをしていたから試合を見ることはほとんどなかったけれど, 確か,すごくバスケが上手い人だ。何となく遠くから見たことがある気もする。 まだほんの数か月前までのことではあるが,校舎に捨て置いてきたはずの部活と勉強と特定のただ一人のことしか頭になかった高校生の頃の思い出が小さく蘇って,思い出したくなかった私は頭の中で打ち消した。


「どうかしたんっスか?俺の顔,何かついてる?」
「ううん,何か,どっかで見たことあるなーって思って」


彼は,「あ!」と閃いたように,私に問いかけた。


「雑誌じゃないっスか?俺,こう見えてもモデルやってるんっスよ!」
「モ,モデル?!モデルとかやってるの?!」
「え,俺のこと知らないの?!そんな女の子,初めて会ったんっスけど!!」
「男性モデルとか一人も知らない‥」
「傷ついたっス〜」


しょぼん,とわざとらしく落ち込む彼を観察しながら思った,どうりでめちゃめちゃに顔が整ってて,めちゃめちゃに高身長でスタイルがいいと思った。 けど雑誌なんかではない,生身の彼を見たことがあるのは間違いないが,桐皇のマネをしていたことは知られたくなかったので,悩んで,口に出すのをやめた。


「まあ,これから俺のこと,知っていってくれたらいいけど。俺,黄瀬涼太。商学部の1年っス,よろしくね。君の名前は?」
「私は,経済学部1年の,。よろしくね,黄瀬くん」
さん,か。ちゃんって呼ぶね!」


そのあとは連絡先を交換して,黄瀬くんは私を一人暮らしの家まで送ってくれた。 ほんの数時間前まで苦しくて苦しくてたまらなかったのに,今では何だか幸せな気分さえする。黄瀬くんの明るく屈託のない笑顔に,私は救われた。 彼を好きだったという気持ちは,そう簡単には消えないだろうけど,黄瀬くんが言っていた, いつか訪れるかもしれない“素敵な男の子との幸せ”というのを,前向きに考えるのも悪くないと,すっかり未来に希望が持てるようになっていた。 思ったより幸せな気分に包まれたまま,私は存外容易に眠りについた。



そうだ,私と涼太くんとの出会いは,大学1年生の初夏頃だったはず。なのになぜ,私の高校時代の写真が詰まった,アルバムが,あるの? そこには制服で女友達と話しながら登下校をしている私や,部活中のジャージ姿の私,予備校の授業を受けながら眠たそうな私や, コンビニでアイスを選ぶ真剣な表情の私――どれも撮られた覚えのない写真ばかりで埋め尽くされていた。 たまたま開かれていた1ページ目の1枚目の写真(思えば私の髪の長さなどから,きちんと1ページ目から時系列で綴じられていっているのだろうと推測された), 覚えのある光景が,そこに写っていた。


「あおみね,くん‥」


忘れもしない,想いを伝えることすら叶わなかった初恋の人が珍しくそれなりに真剣に打ち込めた試合終了後, ドキドキと高鳴る心臓の鼓動を必死で聞こえないフリをしてタオルとスポーツドリンクを渡した, 甘酸っぱい,今となってはほろ苦い青春の1ページ。顔を真っ赤に染めた私と,そっぽを向いた青峰くんが,写ってる。 そう,確かこれは,涼太くんの高校の海常との試合だった。その頃は涼太くんの存在なんて全然知らなくて,私には青峰くんしか見えていなくて。 ううん,そんなことは今となってはどうでもいいの,何でその写真が,涼太くんの家の涼太くんのアルバムに,収められているの? もう頭が状況を受け入れることがまったくできずにほとんどパニック状態に陥っている私,ふと目線を上げると,涼太くんが怒りに震えていた。 激情をむき出しにした視線,涼太くんは誰から見ても私から見ても,とにかく私に甘すぎるというくらい甘かった。 いつでも優しく,私を思いやってくれ,常に気遣ってくれ,私は涼太くんと出会ってから,涼太くんに一度も怒られたことがないのだ。 だからこんな涼太くん,私は今まで一度たりとも見たことがない。


「‥まだ青峰っちのこと,忘れてなかったんっスね。もう何年も前の話なのに。‥っちにはもう,俺っていう大切な旦那がいるのに!!」


どういう,こと。何で?何で涼太くんが,私が青峰くんが好きだったってことを,知ってるの? 何で涼太くんは怒ってるの?私が青峰くんの名前を,口に出したから?だから怒ってるの?何で私が青峰くんの名前を呼んだら,涼太くんが怒るの? 今日は私にとって理解できないことが多すぎた。見たことのない恐ろしい涼太くんを,見過ぎてしまった。 追い詰められた私は,今度はとうとう“こんなの涼太くんじゃない!”という思考に至った。 こんなの涼太くんなわけがない,今日は昨日いろいろと気疲れした上に,あんまり睡眠もとれてなかったからちょっと気が立っててこんなふうになってるだけ。 だって私が昨日永遠の愛を誓い合った涼太くんは,みんなに羨ましがられるほどかっこよくて,私に甘すぎるくらい優しくて,誰よりも私を大切にしてくれて――




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