昨日は文字通り夢のような一日だった。まだ夢見心地から抜け出せない,昼下がり。
わざとランチタイムに重ねた披露宴から,二次会,三次会,四次会と,明け方までただひたすらお酒を飲まされ続けた私だけの王子様は,まだ微睡の中を漂っている。
チェックアウトの時刻が少しずつ迫ってきた。
早めに家に帰って新婚旅行の準備もしたいから,そろそろ起きてほしいなとは思いつつ,式の準備から当日まで,男性にしては珍しいほど一生懸命協力してくれた涼太くんに,
私の心は感謝で溢れているから,愛しさのこもった眼差しで見つめて,もう少しだけ寝ててもいいよと,心の中で呟いた。 昨日は涼太くんと私の結婚式だった。大いなる祝福を受けて,私たちは晴れて夫婦となった。 結婚式はあれこれ悩んだ結果ホテルで挙げたため,結婚式のあとそのまま式場のホテルに宿泊し,結婚式翌日を迎えた。 結婚式当日の,高級ホテルのスイートルーム宿泊という特典に惹かれたこともこの式場に決定することとなった一つの大きな要因だったよなと,数か月前のことがまだありありと鮮明に思い出された。 涼太くんは本当に私なんかにもったいないほど,最高の旦那様だ。 モデルをやっていたほどの高身長+イケメンで,涼太くんほど似合う男はこの世に存在しない!とはっきりと言い切れるほど,白いタキシードがすっごくすっっっごく似合っていた。 試着の際に着ているところは何度か見たことはあったけど,ヘアセットとメイクを施された涼太くんは冗談抜きで改めて惚れ直すほどかっこよく,涼太くんは私のウェディングドレス姿を「っち,本当にすごくきれいだよ」と言ってくれたけれど,お世辞にも凡人レベルの私は,これほどまでの見目麗しさを持つ涼太くんの隣に立って注目されるのをかなり躊躇した。 けれど涼太くんったら,「何わけわかんないことを言ってんスか!俺の隣はっちしかありえないでしょ。――ほら,鏡見て。こんなに綺麗なんだから,自信持って。俺はあくまでオマケ,今日の主役はっちなんだから」,前言撤回。涼太くんは王子様じゃなく,魔法使いだ。だって私は,涼太くんの言葉一つで,こんなにも変わることができる。 涼太くんのおかげで,私は背筋をピンと伸ばして,涼太くんの隣を歩くことができた。とにかく心から楽しんで,私たちは最高の結婚式を迎えることができた。 結婚を決めてから,割と早足で結婚式にこぎつけた私たちは,新居を探す暇がなく,今日からひとまず,涼太くんが一人暮らしをしていた部屋に移り住むことになっている。 荷物はとりあえず運びこんだけれど,まだ段ボールを全く開封できていないから,少しずつ開封していかなきゃいけないなと, これから始まる新生活へと期待に胸膨らませていると,涼太くんの目がぼんやりと開いた。 「おはよーっス‥」 普段めちゃくちゃにかっこいい涼太くんだけど,寝起きの寝ぼけ眼な涼太くんは可愛いなと感じ,ついくすっと笑ってしまった。 ふぁ,と小さくあくびをし,枕元のアラーム時計の表示板に記された時刻を見て,「やべっ」と小さくつぶやいた。 「もう少し,こうしてたいけど。そろそろ行こっか,っち」 カーテンから差し込む淡い光に照らされた涼太くんはやっぱり本当にかっこよくて,私はまだ夢を見ているような感覚に陥った。 差し出された左手をぎゅっと握って,私たちはただ触れるだけの口付けをした。 そうだ,私は,夢を見ているのだ,まだ夢から覚めていないだけ。 だって,私はこれから私たちを待ってくれている幸せに満ち溢れた新生活に向けて荷解きをしようとしただけで,夢,じゃないと,何で,こんなものが。 “それ”を見つけたとき,最初はただただ小さな疑問が浮かんだ。次第に大きな恐怖が襲ってきて,私は硬直した。 硬直したものの,はっと思い直した,“それ”を見つけてしまったことを涼太くんに悟られたら,もっと恐ろしいことが起きる予感がして,私は必死に元あった場所にそれを保管し直そうとした。 けど,もう色々なことがとっくの昔に手遅れとなっていたことに,バカな私はこの瞬間まで,微塵も気づいていなかった。 「っち」 ひっ,と小さな悲鳴を上げて振り返ると,そこには恐ろしいほどに美しい微笑みを浮かべた涼太くんがいた。 悲鳴を上げた理由は,私がたった今隠そうとしたものを見られたかもしれない,と危惧したせいではない。 涼太くんの目が,ぞっとするほど,冷たかったからだ。 初めて会った時から,とにかく優しく紳士的だった,涼太くん。今まで出会った誰よりも,私を大切にして,愛してくれた。 なのに今私の目の前に立っている涼太くんは,昨日までの涼太くんと,同一人物なのだろうか。 涼太くんみたいな完璧な男がこの世に二人もいるわけがない,同一人物に決まっているのに,私はこの冷たい瞳に覗かれて,どうしてもそうは思えなかった。 「あーあ。見ちゃったんっスね,っち」 微笑みを絶やさぬまま,じりじりと近づいてくる涼太くん。私もそれに合わせて少しずつ後ろへ追い詰められていくけれど,どうせそれが続くのもあと数秒だ。 どうしてなんだろう,昨日笑顔で永遠の愛を誓い合った人が,今まで生きてきた中で一番恐怖を覚えた対象となった。 「まあ,簡単に見つかるような場所に置いてた俺も悪いから,おあいこかもしれないっスけど。それにしても,っち‥」 とうとう涼太くんが私のそばまでやってきた。私はいつの間にか背中を壁にぴったりとくっつけていた。どん,と激しく私の背後の壁を殴る涼太くん。 女子が大好きいわゆる壁ドンというやつなのだろうが,絶世の美男子にされているはずではあるのに,何一つ胸がときめくことなく,あまりの恐怖に心臓がひゅん,と縮こまったような気がした。 「どうして俺をそんな目で見るんスか?」 今度こそ微笑みすら浮かべていない涼太くんの,見開かれた冷たい瞳孔に射抜かれた。 top next |