「切原くん,これ,この単語。なんでここに入ってるかわかる?」

‥うっわー‥先生の指,超きれい。

「ここ,ちょっと読んでみて」

先生のまつげ,まじなげぇ。まじやべぇ。

「じゃあ,まず,私が読んでみるね。When I got up,...」

あー,先生の発音,まじきれぇ。声も超可愛い。

「よーし,じゃあ,次の問題行くよ!」

顔もめちゃめちゃ可愛いし,優しいし,頭もいいし。モテるだろうなあ‥。

「切原くん!またこのつづり間違えてるよ!何回もおんなじミスをしない!」

うーわ,怒った顔も可愛すぎる。

「切原くん,この問題はね,――」

先生‥。

「切原くん,この単語はね,――」

先生‥。

「‥切原くん,聞いてる?」

先生,先生,先生,――。

「ちょっとー。まだ,ほんっとうに中学校の復習の段階なんだよ。
もうちょっと真剣にやって!」
「だぁぁあああー!!もう,ぜんっぜんわかんねぇ!!」

まじ,ぜんっぜん集中できねぇ!!






俺の生活はテニスのみでまわっている。いや,正確に言えば,まわっていた,だ。過去形。まあ,俺の大っ嫌いな英語みたいであんま言いたくないけど。
毎日毎日,部活,スクール,ってテニスばっかりで,これが当たり前だって思ってたから何とも思わなかったんだけど,父ちゃんと母ちゃんはそうでもなかったみたいで,部活引退と同時に無理やり塾に入会させられた。まじまともに勉強なんてしたことなかったからほんっとに嫌だったんだけど,とりあえず受験もあるし,ってことで内部進学が決定するまで,だとは思ってたんだが‥。内部進学決定して,さあ心おきなくやめよう,と思ったら,

「何言ってるの赤也!無事進学決定したって言ってもあんたの成績が悪いのは変わらないんだから,まだ続けなさい!高校は,テニスだけじゃダメなのよ!」

なんて,げんこつくらっちまった。何だよ,俺,どうせ高校卒業したら即プロになりたいし,大学行くとしても,どうせテニス推薦で行くから,別に勉強する必要ないのに。親に言わせたら,そんなこと関係せず,勉強しなきゃいけないらしい。

「‥はーあ,まじ意味わかんねぇ」

まあ,いいや。俺は一生懸命部活だけやって,塾は適当にサボればいいや,このときはこれくらいに考えていた。




中学を卒業して,春休みに入った。俺はすぐにでも高校のテニス部に潜入して
幸村部長(おおっと,今は部長じゃねぇや)や,真田副部長(こっちもちげぇ)と練習してぇ,と思っていたのだが,またまた母ちゃんに,

「何言ってんの!今のうちに勉強しといて,中学の勉強取り戻して,高校の予習してきなさい!」

と勉強道具だけ持たされて,家をほっぽり出された。適当にサボろうかとも思ったんだが,どうせしばらく行ってなかったので,乗らない気分を奮い立たせて,塾に向かうことにした。

「おお,切原,久しぶり。卒業おめでとう」
「‥うぃーっす」
「どうせあんまり勉強してないんだろ?まあ,お前は来たってどうせ一生懸命勉強なんてしないだろうがなあ」

余計なお世話だぜ。

「今日,授業,入りたかったら入ってもいいぞ」
「うぃっす。お願いしまーす」
「あ,お前を担当してた先生やめたから,新しい先生が担当になったからな。まだ入ったばっかの先生だから,なんかあったら俺に言ってくれ」
「へーい」

そして俺は教室に入った。この塾はいろんなコースがあるが,俺が受けているのは個別指導コース。集団授業よりは少々割高だが,俺の成績(というか英語)が悪すぎる,あと部活をやりながらでも支障が出ないように,ということでこっちを選んだ。俺の担当だったやつはいかにもくそ真面目そうな男性教師で,特にどこが気に入っていた,というのも一切ないので,何にも気にならなかった。新しく担当になるやつもどうせこないだのみたいなんだろう,まあ一応授業中だけはそれなりにまじめに勉強してあげますよ,なんて考えてたんだが――。

「切原くん‥かな?私,新しく担当にさせていただきます,です。よろしくね」

思わず,口をぽかーんとしちまった。

「先生,一応英語も数学も担当させてもらうから,よろしくね。一緒に勉強頑張ろうね」
「う,うぃっす」

キーンコーンカーンコーン,とチャイムが鳴ると,生徒たちが急いで教室に入ってきて,席に着いた。

「黙想」

始まりのあいさつは,それぞれのブースごとに,そこを受け持つ先生によって行われる。先ほどまでとても親しみやすい声で話しかけてきた先生の声が,凛としたように張りつめたような声になった。すっげー澄んでる‥。

「気をつけ,礼」
「「「よろしくお願いします」」」

「よし,じゃあ今日から切原くんは高校生のテキストを使おうね。切原くんは英語のコマを多めにとってるみたいだから,今日は英語のテキストを進めていこっか!」
「え‥英語?!しかも高校生とか‥。俺,英語とか正直中1から怪しいっす」
「大丈夫だよ!高校生用のテキストだけど,最初は中学生の内容の復習から始まるし。 苦手なところと得意なところを見つけてみようね」
「得意なところ,なんてあるのかねぇー‥」
「大丈夫大丈夫,さあ,1ページ目からやってみよっか!」

こうして授業は始まったんだが,俺は集中どころかテキストさえ見ることができなかった。ちらちらちらちら,先生の横顔を見てるばっかりだった。

白く柔らかそうな肌,漆黒で長いまつげ,幅広な二重,ぱっちり開いた目,その中のくりくりとした黒目。すっとした鼻筋,ふっくらとした赤い唇,きゅっととがった顎。おまけに染めたばかりのようなつやっつやのほんのり茶色がかった髪はさらっさらのストレートで,うわ,やべえ‥。まじでドキドキする。
こんな気持ち,本当に初めてだった。そりゃあ可愛い女子見たら月並みに可愛いな,なんて思ったりはしたけど,俺は本当にテニスのことしか考えてこなかったから,こんな気持ち,まったく味わったことなんてなかった。細身のスーツ,ジャケットは来ていなくて,清潔感のある白いシャツにぴったりしたスカートをはいて,黒いストッキング,黒いヒール靴をはいている。今までの同級生や先輩にはない,落ち着いた大人の雰囲気があったからなのかもしれない。大人の女性とこんなに身近に接する,なんてことが初めてだったからなのかもしれない。なんでこんな気持ちを抱いたのかはわからないけど,とにかく心臓がどくんどくんして一向に止まる気配がなかった。平静を装って先生の言うことに返してみたけど,ちゃんと言葉を発することはできたんだろうか,まったく記憶にもない。これであんまり化粧もしてないんだろうからなあ。まじ,元がよすぎるだろっつの。
まだあまり難しくなかったからあまり頭を使わずに解けたが,こんな状態で難しくなってったら,俺まじで何にもできねぇよ。ってな具合で,この日の授業は終わった。

「今日はあんまり進めなかったね‥。まだ始まったばっかりだもんね。これからがんばっていったら,大丈夫だからね!一緒に頑張ろうね!」
「‥うぃーっす」

‥ったく,誰のせいでこんなんなってると思ってんだよ,ちくしょう。そう考えながらも,ほほ笑む先生を見て,動悸が止まらなかった。俺はおそらく真っ赤になっているであろう顔をふいっとそむけた。




この春休みは,朝から夕方まで真田さんたちと練習,それから塾,ととても充実したものとなった。もちろん勉強なんてものはどうでもいい。俺にとって,塾=先生だ。
毎日授業を受けていくうちに,俺と先生はいろんな話をするようになった。俺は先生をもっと知りたくて,たくさん聞きたいことがあった。

「ねぇねぇ先生,先生ってさ,いくつなの?ここで働いてる人なの?」

なんとなく,俺は23歳くらいだと思っていた。先生はたぶんかなりの童顔なので若く見えるが,先生だから,というのがあったのかもしれない。

「だーめ。内緒」
「なんでなんで?!年くらいいーじゃん!」
「だーめ。室長に誰でもかれでも年齢ばらしちゃだめって言われてるの」

んだよあのくそちびメガネ(=室長),ふざけたこと言いやがって!

「誰でもかれでもってことは,信用できる人とかだったらいいってことだよね?!」
「うーん,そういうわけじゃないけど,まあそうともとれるかもね」
「ならおっけーじゃん!俺誰にも言ったりしないよ!神に誓えるっす!」
「はあ‥。そんなに知りたいの,私の年齢?」
「うっす!」

先生は何かおかしかったみたいで,くすくす笑った。いや,まじで可愛い,しゃれになんねぇ。

「じゃあ切原くんは,先生のこと,何歳くらいに見える?」

そんなことを聞かれるとは思っていなかったけど,思ったままに話してみた。

「ええっと‥23歳くらいっすかね?」
「えええっ???!!」

思ったままに話してみたんだが,めちゃめちゃ驚かれて,こっちが驚いた。そんなに的外れな答えだったんだろうか,この反応にはどういう意味があるんだろうか。

「どうしたんっすか?当たり?全然違う?」
「ううん‥先生ね,すっごい不本意だけどよく中学生とかにみられるから,ちょっとびっくりしたの。切原くんには老けて見えたのかな,って」

確かに先生だと思ってたからそのくらいの年齢にみえてたんだけど,先生が私服着て歩いてたら,中学生くらいに見えるかもしれない。しかし少なくとも老けてなんて見えてない!

「いっやぜんぜん老けてるなんて思ってないし見えないっすよ!たぶん先生だしそのくらいの年齢かな,って思っただけっすよ」

そう言うと,少し悲しそうな顔をしたので,俺はめちゃめちゃ焦った。

「ちょ‥先生,なんでそんな顔するんっすか。俺なんか気に障るようなこと言っちゃいました?」
「ううん‥なんでもないよ」

先生は少し悲しげにほほ笑むと,こう続けた。

「ちょっと,ね。やっぱり,そのくらいの年齢の人が先生じゃないと,切原くんもほかのみんなも,頼りないだろうな,って‥」

おいおい。思いっきり先生が気にしてるところに俺,つっこんじまったみてぇだ。しかもそんなことこれっぽっちも思ってねぇし,むしろ彩香先生の年齢が低ければ低いほど,俺はいろいろとうれしいのに。

「ちょ,俺先生落ち込ませたんだったら謝りますけど,んなことまじで全く思ってねぇから,落ち込まないでほしいっすよ」
「‥そう?」
「そうっすよ!教えるのうまかったり,一生懸命頑張ったら,年齢とか何にも関係ないじゃないっすか!」

先生を慰めるだけでなんでこんなに必死になったんだろってくらい俺は必死に弁解したんだけど,たぶんそれは,俺自身にも言い聞かせてたんだろうと思う。年齢なんて何にも関係ない(恋愛には)。

「ありがとう。ちょっと気にしてたんだ。室長にも黙ってろって言われてたし。切原くんに,元気づけてもらっちゃったね」
「そんなこと気にしなくていいっすから,早く何歳か教えてくださいっすよー!」

そんな俺をおもしろそうにくすくす笑って見つめる先生は,まじで天使だと思った。

「みんなには内緒だよ?」

この響き,まじやべぇ。

「先生ね,18歳なんだ」
「‥ええぇぇええー!!」
「どうしたの?見えないかな?そんなに老けてる?」
「いやいや,そうじゃなくって‥」

俺は全くそんなことは思ってない。ちなみに驚いたわけでもない。ちなみに今のは,心の底から喜んだ「ええぇぇええー!!」だ。先生は18,俺は15。3歳しか変わらねぇじゃねぇか!先生にとって俺は,恋愛対象に入るはずだ!

「切原くんは4月から高校に入学するでしょ?私はね,4月から大学に入るの」

っておい,しかも,まだ高3じゃねぇか!これはやったぜ!俺が大学入るときに,先生は大学4年生だもんな,まじでぜんっぜんありじゃん!

「どうしたの,切原くん。なんだか嬉しそうな顔して」
「いやいや,なんでもないっすよ,へへっ!」
「いろんな塾のバイト先探してたんだけど,なかなか受からなくって。先生もここの塾の別の教室に通ってたんだけど,合格の報告をしに来た時に,ここで働かないかって誘われたの。どうせ暇だったし,もう3月から働くことにしたんだ」

その先生を誘ったやつ,まじファインプレーだ!本当にありがとう!柄にもなく,本当に心の底からそう思った。たぶん俺が見知らぬ人に感謝だなんて,これが最初で最後だろう,っていうか最後だ。

「‥ん?っていうか今気づいたんだけど,切原くんなんで私を名前で呼んでるの?」
先生,ほんっと真面目っすねぇ。そんなことどうでもいいんっすよ!あ,あれだったら俺のことも“赤也くん”って呼んでくれていいんっすよ!」
「ちょっと‥。私と切原くんは先生と生徒よ。生徒と先生は名前で呼び合ったりしちゃだめなの」
「だからそんなこと気にしなくてもいいんですって!どうでもいいことなんっすから。そんなことより,勉強しましょ,勉強!」
「もう,切原くんったら」

すっかり俺にあきれたような顔をしながら,それでもまんざらでもなさそうな先生を見て,俺は思った。
塾も,案外悪くねぇって。








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