「」 「どうしたの,赤司くん」 「結婚することになった」 「‥え‥?」 「結婚することになったんだ」 ほら,こんなふうに,あなたはいつだって私を置いて行く。 失意の中さまよった私がたどり着いた場所は,よりにもよってあの公園だった。 大して広くもない面積,小さな砂場に小さなブランコ,簡単な遊具に,ベンチが二つ。 少し色褪せたくらいで何一つ変わってない公園に足を踏み入れ,忘れもしない,二つのベンチのうちの左側,私はしばし立ち尽くした。 明日は赤司くんの結婚式だ。 ずっとずっと大好きな人が,神様の前で永遠の愛を誓い合うのを,「おめでとう!」と笑顔で祝福しなければならない,地獄の一日となるだろう。 赤司くんと出会ってからの私の選択に,私の意思なんてものは存在しなかった。 「俺はバスケ部に入ろうと思うんだ」 「そうなんだ‥。じゃあ,忙しくなるからあんまり会えなくなっちゃうね」 「そんなことはないよ。同じ部活だから毎日一緒にいられるじゃないか。はバスケ部のマネージャーになるだろう?」 「え,どうして?」 「俺がバスケ部に入ったら,はマネージャーになるに決まっているじゃないか」 中学でバスケ部に入った時だって,生徒会に入ったときだってそうだ, 「」 「なあに,赤司くん」 「俺は生徒会にも所属しようと思うんだ。父さんの意向でね」 「え?!バスケ部の練習だけですっごい忙しいのに!大丈夫なの?」 「問題ない,がサポートしてくれるからね」 「え?!私?!私生徒会なんて向いてないよ!人前に立って話したりとか絶対嫌だもん!」 「は書記を担当してくれたらいいよ,書記なら人前で演説なんて仕事はないだろうから」 「え,でも私,赤司くんと違って頭良くないから,バスケ部のマネージャーと勉強だけで,精いっぱいで‥」 「何でそんな風に言うんだい?だって,俺と一緒にいられる時間が長くなるのは,うれしいことだろう?」 大好きな人に笑顔でそんなふうに言われたら,否定なんてできるわけがないじゃないか。 ついでに私は赤司くんの一番近くにいていいのだとだと,期待してしまうでないか。 こんなふうに私を期待させておいて, 「昨日から1組の女の子と付き合い始めた」 「え‥?」 すぐに裏切って,置き去りにしていく。赤司くんの得意技だ。 「昨日の部活帰り,一人でいたところにいきなり近寄ってきて,付き合ってくれと言われた。だからいいよと答えた」 「全然知らなかった,赤司くん,好きな人いたんだ」 「いや,別にその子のことが好きだったわけではないよ。ましてや,俺はオッケーの返事はしたものの名前も知らないんだ」 「え,赤司くん名前も知らない子と付き合うことにしたの?!」 「俺は女子と付き合ったことがなかった,だから男女交際とはどういうものなのか,体験してみたかったんだ」 赤司くんが恋に焦がれているわけではないことに喜ぶべきなのか, ただそんな理由で大好きな人に初めての彼女ができたショックが癒えるわけもなく, その日は気づいたら朝が来ていたというほど泣き疲れて眠ったけれど,もうそれから一カ月もしないうちに, 「あの子に別れてくれと話してきた」 「え?!何で?!また突然,しかもまだ一カ月もたってないよね?」 「俺は部活に勉強に習い事と,なかなか休日も時間が取れないのだけど,それが不満だったようでね。 メールや電話も返事を返せだのしつこかったから,別れてもらうことにした」 「男女交際とは,みんなが言うほど楽しいものでもないんだね」,とぽつりとつぶやく赤司くんに,少しほっとした面がなかったとは言えないが, その女の子の気持ちも赤司くんが大好きな私にはわからなくもなくて,ただ苦く笑うことしかできなかった。そんな私は言うまでもなく, 「洛山高校に進学することを決めたんだ」 「あの京都の?!京都の洛山高校って,文武両道のすっごい有名な高校じゃん!!さっすが赤司くん!! でも,赤司くん,高校,京都に行っちゃうんだね。京都と東京じゃ,もうこれからはほとんど会えなくなっちゃうね」 学業もスポーツも優秀な赤司くん,対して何もかもが平々凡々な私,いつかは離れ離れの学校になるんだろうなと覚悟はしていたけど, まさか高校ですでにこんなに遠くになるなんて,思いもしなかった。 赤司くんと同じ学校で過ごすのも,中学生までかぁ,としみじみと思っていると, 「も洛山に来るだろう?」 「え?」 「も洛山に来れば,同じ学校で過ごせるじゃないか。そしてまたバスケ部に入部して,マネージャーをやってほしい」 私はしばらく呆けたような顔で当然のことを言ったまでだと言わんばかりの表情の赤司くんを見つめた。 いいや,いくら赤司くんが私を女の子として見てくれていないとしても, 大好きな人に同じ学校に来て,マネージャーをやってくれなんて言われてうれしくないわけじゃない,というか,正直うれしい,けど, 「む,無理に決まってるじゃん!私じゃ成績足らないよ!」 「は自分で卑下するほど成績は悪くないじゃないか。たぶん今のままの成績でも十分合格できると思うよ」 「い,いや,合格できないと思うけど,万が一受かったとして,勉強についていけないよ!しかもマネージャーやりながらなんて!」 「そうだな,入学した後のことも考えて,もう少し成績を上げた方が安心かもしれないね。は今まではマネージャー業でそこまで勉強する時間を取れていなかったから,部活をやめた今,きちんと勉強さえすれば,ならすぐ成績は上がって,かなり上位の成績で合格できるはずだ。僕が保証するよ」 「いやいやいやそんなことありえないって!!だってあの洛山だよ?!そもそも京都だなんて,お父さんとお母さんが反対するよ!!」 「そうだな,それは僕が説得してみせよう。のご両親も,僕が付いているならばいいと言ってくれると思うんだ」 うーん,正直それは私も否定できない。お母さんなんて,赤司くんはイケメンで成績優秀でスポーツ万能でお金持ちで,なんてめちゃめちゃ気に入ってるし‥! 「で,でも,京都だなんて間違いなく寮だよね?!私寮生活なんて向いてないよ!」 「それこそ問題ないよ。は真面目な模範生だ,寮生活もそつなくこなせるだろう。 そもそも洛山は寮生がかなり多くの割合で属する学校だからね,他の人間にできて,ができないわけがない。 何なら,僕は京都の別邸から通うつもりなのだけれど,僕の家から通ってもいいんだよ」 「い,いや,それは遠慮しておきます‥」 「ほら。何の問題もないだろう?」と勝ち誇った笑みをこちらに向けて言い放つ赤司くんに,私は何も返す言葉がなく,洛山高校を受験し,見事合格した。 そして赤司くんの説得により,特に親から反対されることもなく,とんとん拍子で話が進んでいき,とうとう赤司くんと一緒に洛山高校に入学したのだった。 「今日から3年間,また同じ学校だね。改めてよろしく,」 全てが赤司くんの思惑通り,さぞかし満足なのだろう,でもそんなあくどい感情なんて微塵も見受けられないようなまぶしい笑顔で浮かべる赤司くんを見て, 赤司くんが私のことを一人の女の子としてなんて見ていないことは分かりきっているのに, これ以上ドツボにハマったら苦しむのは私だって私が一番よくわかっているはずなのに,私はまたことさら一層,赤司くんを好きになった,そんな高校1年生の春。 それからの学校生活はただ部活,勉強,そして部活と,来る日も来る日も忙しさに追われる日々を過ごして,夏のIHが終わった後,少しだけできた休暇を利用して,私と赤司くんは帰省した。 かつて二人で通った母校に侵入し,きゅっきゅっきゅっとスキール音が鳴り響く体育館や,夏休み中でがらんとしている学食,受験直前赤司くんと放課後真っ暗になるまで居残り勉強した図書館と, 帝光弾丸ツアーを楽しみ,すれ違う恩師と懐かしい話に花を咲かせ,少し暗くなりかけた頃,私たちは中学3年間を毎日通った通学路で,帰路に着いた。 中学1年生,真新しい制服に身を包み,これから始まる中学校生活に胸をときめかせていたあの頃はさほど身長差を感じることもなかったのに,あれから3年以上が経過した今, 身長も伸びて,スポーツに励み精悍な体つきへと変わってしまった赤司くんと私には,この身長差以外にも,どれほどの差が開いてしまったのだろうか。 懐かしさも相まって,赤司くんの整った横顔をぼーっと見つめながらセンチメンタルな気分に浸っていると,ふと通りがかった公園の前で,赤司くんがぴたりと止まった。続いて私もぴたりと止まった。 「この公園‥」 「懐かしいね。小さい頃,とここで遊んでいた記憶があるよ」 「!!赤司くん,覚えていてくれたの?!」 「忘れるわけがないだろう?あの頃から,と僕はいつも一緒だったね」 物心ついた頃にはいつも赤司くんがそばにいたからいつ知り合ったのかとかすら全然記憶にはないけれど,この公園で遊んだなとか,一緒に近くの動物園に遠足に行ったなとか, 男子数人でたかっていじめられてた私を赤司くんが両手をいっぱいに広げて守ってくれたなとか,そんな断片的な記憶は,数えきれないほどいっぱいある。 暗がりの中なのに,昔を懐かしむように目を細めて微笑む赤司くんは,まぶしいほどに輝いて見えた。 「」 あれほどまでに大きく感じたブランコの小ささを初めて実感し,簡単にジャングルジムのてっぺんにまでたどり着き,砂場は手が汚れちゃうから遊ぶのをやめておいて, 少し遊び疲れて一番手ごろな場所にあったベンチに並んで座った。しばらくの間,二人で静かな時を過ごしていたと思うと,赤司くんに名前を呼ばれた。 なあに,赤司く‥,と最後まで言葉を紡ぐことはできなかった。気づけば赤司くんのきれいな顔が目の前にあった,そして,私の唇に,ふわりと,柔らかく温かい感触が落とされた。 大好きな人と,き,き‥!こんな時は目をつぶって受け入れなきゃいけないのに,おバカな私は目をつぶるどころか見開いて,そのまま固まってしまった。 固まってしまった私に,赤司くんは唇を離すと,まぶしいばかりの笑顔で,こう言ってのけた。 「キスとは,こういう感触なんだね。悪くない」 悲しいかな,なんとなく,わかってはいた。赤司くんは,私が好きだとか,そんな気持ちは微塵も持っていない。 たぶん赤司くんは以前男女交際をしてみたいと言って女の子と付き合った,あの時と同じ感覚で, キスとはどういうものなのかを知りたくて,たまたま近くにあった私の唇に口づけただけの話だ。 でも不思議とショックだとかそういうものは感じなかった。赤司くんがそういう人だということは私が一番よくわかっているし, 分かっていながらも,そんな赤司くんへの気持ちが冷めるどころか,好きな気持ちが膨れ上がる一方の私,赤司くんは全てを見透かして,キスをしたんだ, だからただ頬が熱くほてっただけで,私は,幸せすら感じても,傷ついたりなんてしなかった。 「もう一度だけ,」 拒む理由なんて見つかるはずもなく,もう一度と言わず,二度も三度も繰り返しキスをした,高校1年生の夏。 新学期が始まり,結局あれは赤司くんの一時の気の迷いだったのだろう,あんなことなかったかのように,部活漬けの日々は過ぎ,秋が来た。 WCも近づいてきたある日,私は赤司くんの家に呼ばれた。赤司くんが私を家に招くなんてめずらしい,というより, 私がやんわりと拒んでいたから(ただでさえ赤司くんと付き合っていると誤解されているのに,家に上がっていくところなんて見られたら,何を言われるかわからないからだ!),赤司くんは私を家に招くことはしなかった。 「さあ,どうぞ,上がって,」 「お,お邪魔します!」 初めてお呼ばれしたが,別邸なんて言葉がどこかに飛んで行ってしまうほど,豪華なお家だった。というか,別邸なのに私の実家よりすごい。 何だか赤司くんと私の埋められない格差をまざまざと見せつけられ,少し心をえぐられながら,初めての大好きな人が一人で暮らすお家に緊張しつつ,私は赤司くんの部屋へ上がった。 教科書がきっちりと並べられ,バスケットボールが飾られていて,制服やバスケのユニフォームがかけられた,優等生な赤司くんらしい,男子高校生のお部屋だった。 「何か飲むかい?」 「え,ううん!お構いなく!!」 「そんなに緊張しなくてもいいだろう?小さい頃はよく僕の家に遊びに来ていたじゃないか」 「何か適当に持ってくるね」と部屋を出る赤司くんを見送りながら,私はだだっ広い部屋で一人気まずさを感じながら赤司くんを待った。 赤司くんはお盆の上に二つのコップに入ったオレンジジュースを乗せて,帰ってきた。 赤司くんが帰ってきたところでやっぱり広いけど,この部屋の主が戻ってきてくれたことで,私も随分安心したようで,リラックスできた。 それから特に取り留めもない話をしていたのだけれど,終始どうも赤司くんの様子がおかしかった。 赤司くんは何でも完璧超人に見えて意外と繊細なところがあるから,私はあえて触れないでおいたのだけれど, やっぱり珍しく泳ぐ赤司くんの視線がどうしても気にかかって,赤司くんに尋ねてみることにした。 「赤司くん,どうしたの?」 「何がだ?」 「赤司くん,今日様子おかしいよ。なんだかそわそわしてるというか,私に何か話したいことでもあるの?そもそも赤司くんが私を家に呼ぶなんて,らしくないなって思ってたけど」 私の問いかけに,急に黙り込んだ赤司くん。少し向こうを見つめて考える仕草をして,もう一度私に向き直って,答えた。 「夏休み,帰省した時,とキスをしたのを覚えているかい?」 「‥?!?!?!」 衝撃だった。私とのキスなんてなかったことにしたいんだなと思い,あえて触れないようにしていたその部分を当の本人がぶっこんできたから,私は言葉にもできなかった。 「あれから,妙なんだ。の顔を,の姿を見ていると,またその唇に触れたいと思ってしまう。そんなことを考えているとその唇から目が離せなくなって,どうしてもその欲求が抑えられなくなるんだ」 「‥?!?!?!」 そんなに間を空けずに本日二度目の衝撃が私を襲った。 確かに思えば,赤司くんだって健全な男子高校生だ,別にそういう欲求がわいてきても何らおかしなことではない。 だが,赤司くんだ。その辺の一般の男子高校生とは違う。とにかく赤司くんには俗人の感情が欠落している,という言い方は不適切なのかもしれないが, 赤司くんは,誰よりもかっこよくて,誰にでも紳士的な対応を見せ,それはもう全女性からの絶大的な人気を得る一方で, “男女交際がどんなものなのかを体験してみたかった”という理由だけでお付き合いを始めるような,男女の色事への興味なんて滅法感じないような,そういう人間だったのだ。 そんな赤司くんの口からいくら一度キスをしたからといって,私の唇から目を離せなくなったなんて,そんな言葉が出てくるなんてそれはもう天地がひっくり返ったんじゃないかというほどの衝撃だった。 「唇の艶から目が離せなくなったと思ったら,のシャツから透けた白い下着や,少し裾を上げたスカートから伸びる白い脚線に,つい目がいってしまうんだ」 「え?!?!」 「そして触れたいと,そのシャツやスカートで隠れている部分が,もっと見たいと思ってしまうんだ。 僕はそんな気持ちを今までに抱いたことがなかったから,自分がおかしくなってしまったんじゃないかと思い文献で調べてみたが,これは何らおかしなことではなく,僕くらいの年頃の男子はそういう感情を抱くのは普通であることらしい。そう,おそらく僕は,とセックスがしたいんだ」 だが先ほどの赤司くんの発言なんて,可愛いものだと知った。 せ,せ‥?!あの赤司くんが,そんな単語を発するなんて,私は口をあんぐり開けて,完全に思考停止してしまった。 赤司くんがじりじりと近づいてくる。私はじりじりと後退したが,とうとう赤司くんの広いお部屋の壁と背中合わせになってしまった。 「あ,赤司くん待って!どうしたの赤司くん,風邪でも引いちゃったの?!熱でもあるの?!」 「どこもおかしくないよ。平熱だし,具合だって悪くない」 「そ,そんなわけないよ!だってあの赤司くんが具合悪くもないのにそんなこと言うわけないもん!」 「別にセックスがしたいなんて,健全な高校生男児が抱く感情として何らおかしなものでもない。クラスの男子だって,よくそういった話をしているよ」 「いや,そういう感情がおかしいとかじゃなくて,そういう気持ちは好きな人にしか抱いちゃダメなんだよ!!そういうことは,好きな人としかしちゃダメなの!!」 「だったらなおさら問題ないね」 「な,何で?!何でそうなるの?!」 「だって,」 途中まで言いかけて,赤司くんは私に優しい笑顔を向けてきた。 私を見る赤司くんの視線は,本当に優しかった。 とんでもないことを言われているのにも関わらず,私はより一層赤司くんを好きになった。 「だって初めての相手は俺がいいって,思っているだろう?」 自信満々な笑顔を浮かべた,赤司くんの端正な顔が近づいてくる。 このままじゃ,赤司くんとキス,することになる。 今度は前回のようにちょっと口付けるとか,そんな可愛いものでは済まないだろう,わかっているのに, 拒まなきゃいけないのに,――どうして,体が動かないのだろう。 そのまま私は赤司くんとキスをした。 初めはちゅっと口付けるだけのライトなものを,そしてだんだんハードなものを。 そしてその日,私と赤司くんは初めてセックスをした。 大好きな人との初めてのセックスは,甘くて,優しくて,幸せで,そしてちょっぴり切なかった,そんな高校1年生の秋。 そして,私たちは,高校,大学を卒業して,社会人となり,大人になった。 定例の月に一度の二人飲み,いつものお互いの近況報告,それはもう本当にさらっと, 今日のおは朝占いは射手座が1位だったんだ,というくらいの感覚で赤司くんは地獄の宣告をした。 「結婚することになった」 「‥え‥?」 「結婚することになったんだ」 「父さんにもうお前も仕事に慣れてきた頃だろう,そろそろ跡継ぎのことも考えて身を固めろ,相手も決めてあると言われてね,特別早くも特別遅くもない年齢だ,俺は見合いを受けた。 品のいい控えめな女性だったよ,俺は特に異論もなく結婚を承諾した。今は式場を探しているんだ,式は半年後くらいを予定していて――」, 赤司くんの何ら普段と変わらないいつも通りの近況報告が脳内の遠い向こうからなんとなく聞こえてくる中,私はもう完全に感情も思考も停止した自分と,ゆっくりゆっくりと向き合った。 結婚,もうそういう年頃だ。学生時代の友人たちも,ぽつりぽつりと結婚していっている。私だって,まったく考えていないわけでもない。 というよりおそらく私は昔から結婚願望はある方だったから,結婚したいなとか,子どもがほしいなとか,そういった漠然とした将来への希望は持っているけれど, 私はずっとずっと昔から赤司くんが大好きで,その赤司くんからは女としては見向きもされない存在で,私にとっての赤司くんは釣り合うはずもない遠い遠い存在で, 赤司くんと結婚したいなんて滅相もない,そんな恐れ多いことを少しだって考えたこともないけれど,やっぱり大好きな赤司くんが他の女性と結婚して家庭を築くなんて,人生でこんな辛いことはないよ。 受け止めることが出来るはずもない。ずっとずっと,大好きだったのに――。 赤司くんが選んだ女性だから,きっとすっごく綺麗なんだろうな,とか,そんな綺麗な人とかっこいい赤司くんとの子どもは,きっとすっごく可愛いんだろうな,とか, 色々考えているうちに景色がぼんやりとにじんできて,私は一生懸命涙がこぼれないように少し上を向きつつ,心とは裏腹の精一杯の笑顔で「おめでとう!!」とお祝いした。 赤司くんは今まで見てきた中のどれよりも幸せそうな笑顔で, 「ありがとう。もちろんも招待するよ,ぜひ来てほしい」 「やったあ!行く行く!もちろん行くよ!楽しみだなあ!」 心で号泣しながら,笑った,そんな25歳の冬。 「」 “結婚式”という名の地獄の一日当日,赤司くんからのメール通り挙式より少し早い時間に式場について,赤司くんの控室に着いた。 扉を開けるとそこに立っていた白いタキシードに身を包んだ花婿姿の赤司くんが本当に本当にかっこよくて,私は切なさの中で赤司くんにより一層惹かれる自分を感じた。 「赤司くん,本当,すっごいかっこいいよ!似合ってる!!」 「ありがとう,」 「バスケのユニフォームを着た赤司くんもかっこよかったけど,真っ白なタキシード姿,すごくかっこいいなあ!」 私の黒い感情を悟られないようわざとテンションを上げて明るく赤司くんを褒めちぎる私を,赤司くんはただじっと見つめた。 自分自身の結婚式当日にはふさわしくない,心から幸せそうというわけでも,緊張しているというわけでもない何ともいえない表情に私は不思議に思い赤司くんに視線を向けると, 「話があるんだ,」 と,切り出してきた。 「どうしたの,赤司くん」 「突然だけど,今日の結婚式は中止にすることにした」 「え」,思わず何の可愛げもない声が出た。その後沈黙が続いた。言葉を理解できず,私が何も言葉を発することができなかったからだ。 突拍子もないことを言い出す性格の赤司くんとの付き合いが長い私は,赤司くんとのそういうシーンには何度も出くわしたことがあるが,今までで一番いろんな意味であり得ない出来事だった。 結婚式を中止‥?!って言ったんだよね‥?!そんなことってできるの?!?!だっていろんな人に迷惑をかけるし,お金だってすごいかかるんだよ。 どういう経緯か知らないけれど,赤司くんが有責,みたいになったら,慰謝料とかなんかそんな話になるんじゃないの‥?! もはや私という小さな小さな人間が受け入れることが出来る容量を遥かにオーバーした出来事を目の前にして, 完全に思考回路がショートした私に,赤司くんは過去を振り返りるように,ぽつぽつと話し始めた。 「に結婚の報告をしてから間を空けずに,実渕に結婚の報告をしに行ったんだ――」 「ごめんね,征ちゃん。心にも思わなくてもおめでとうと言わなければならない場面だとわかってて,敢えて言わせてもらうわ。その結婚,私は祝福できないわ」 思ってもいない言葉に,さすがの俺も驚き,目を見開いた。もうすでに職場の人間など何人かには報告を終えていたが,みんな表面上だけだったとしても,大いに祝福してくれた。 一番の懸念材料だったでさえ,笑顔で「おめでとう,赤司くんの結婚式,楽しみにしてるね!」と言ってくれたのだ。 なのに,まさか実渕に祝ってもらえないなんて,予想外だった。実渕はあからさまに顔をしかめ,窘めるように,俺を諭した。 「ちゃんの気持ちを考えてみなさいよ。ううん,でもそうね,私はちゃんもだけど,征ちゃん自身の気持ちを大切にしてほしいの。 私は,征ちゃんの近くにいたから,征ちゃんがどれほどお父さんに厳しく大切に育てられてきたのかを多少なりともわかっているつもりだから, 征ちゃんのお父さんに対する気持ちについては,わからないわけではないのよ。 でも,征ちゃん,私はね,結婚だけは,征ちゃん自身の気持ちに素直になってほしいと思っているの。 もちろん結婚は家と家とのお付き合いが避けて通れるものではないから,家庭の事情は非常に重要なファクターの一つよ。 でもね征ちゃん,征ちゃんのお父さんが選んだよく知りもしない相手と結婚して,征ちゃんはそれで幸せだと思えるのかしら? 私にはそれで征ちゃんが幸せになれるとは到底思えないわ」 「実渕,言い方がまわりくどいぞ。もっとわかりやすく説明してくれ」 「そうね,じゃあ,征ちゃんが他の誰かと結婚したら,いつかもちろんちゃんも他の誰かと結婚することになると思うんだけど,そうなったとき,征ちゃんはどういう気持ちになると思う?」 “が他の誰かと結婚したら――”,そんなこと,一度も考えたことがなかった。 そして,思い浮かべることすら,俺にはできなかったのだ。 ――それが想像を絶するほど受け入れがたく,異常なほど,恐ろしいことであるような気がして。 「征ちゃん。もう一度,よく考え直してみて。 征ちゃんは誰と結婚したいのか,一生を共に歩むのなら,征ちゃんは誰を選ぶのか。 征ちゃんは今まで,征ちゃんのお父さんの期待に副えるよう,本当に努力してきたと思うわ。 でもね,結婚くらい,お父さんの顔色を伺わないで,自分の気持ちに,正直になって。 それが,征ちゃんに心から幸せになってほしいと願う者からのアドバイスよ」 赤司くんの説明が,本当に,意識の遠く遠くでしか聞こえておらず, 私は赤司くんが私に話す内容のほとんどを,おそらく理解できていなかった。 だって,理解すればするほど,涙が,堰き止められなくなる。 ずっと自分の気持ちに蓋をして生きてきた,期待しちゃダメだって。 赤司くんみたいな素敵な人が,私なんかを好きになるはずがない,そしてとうとう, 「結婚することになったんだ」 赤司くんの一言で,私の心の扉は永遠に閉ざされた。 けど,そんなことを言われたら,決心が鈍ってしまうではないか。 心の奥底に仕舞い込んだ感情が,浮かび上がってくるではないか。 今度こそ期待してしまう,これほど舞い上がらされて落とされたら。――私は二度と立っていられなくなる。 「そして俺は,自分の気持ちについてじっくりと考えた。そして答えは出た,俺が心から一生一緒にいたいと思うのは――」 うれしくて,怖くて,幸せで,けれど幸せな未来なんてそう簡単には描けなくて, 二十数年積み重ねてきた思いは涙となって溢れ,私は逆らうことができずに,ただ声を上げて泣いた。 ふと目を覚ますと,車の後部座席で,赤司くんの肩にもたれかかっていた。 泣き疲れて寝てしまっていたのだろうか。 赤司くんの顔が目前にあったためにびっくりして飛び起きると, 「もう少しだけ寝ててもいいよ,あとちょっとしたら着くから」, と赤司くんは優しい微笑みを私に向けて言った。 目が覚めてしまっては,赤司くんに寝顔を見せるなんて恥ずかしいことができるはずもなく,縮こまっていると,車がゆっくりと停まった。 「着いたようだ。降りようか」 先に降りてドアを開け,どうぞと優しく微笑んでエスコートしてくれる赤司くんを直視できずに, 俯いたまま車を降りゆっくりと顔を上げると, 「――え,ここって」 そこには昨日見たばかりの景色が広がっていた。 大して広くもない面積,小さな砂場に小さなブランコ,簡単な遊具に,ベンチが二つ, 小さな頃から赤司くんと何度も何度も足を踏み入れた,たくさんの思い出が詰まった場所。 「本当に色々と考えたんだ,そして考えた結果,思いを告げるならこの場所がいいと思って,ここに連れてきた」 言い終わる前にゆっくりと動き出す赤司くんの両腕,そっと差し出された小さな箱, 必然的に赤司くんの声が遠く小さくなってゆき,目の前の綺麗に包装された箱に全神経が注がれる。 リボンを優しくほどく赤司くん,その一挙手一投足が見逃せなくて, 見逃せないのに,視界がじんわりぼやけてよく見えなくなっていく。 小さな箱からはやっぱり小さな箱が出てきて,世界中の女子にとっての夢の時間はもうすぐだ。 「。俺と結婚してほしい。一生そばにいてくれ」 ぼんやりした世界の中で,かすかに世にも美しい輝きと,世にも美しい赤司くんの笑顔が映った。 思い出すね5のお題 04.あなたとキスした公園 2019.3.7 ⇒title |