2月14日,2人で過ごす何度目かのバレンタインデーだろうか。
高2の夏休みに恋人同士という間柄になって,高校大学を卒業して,4月を迎えるともうすぐ社会人4年目ともなると,
日本中のカップルたちが浮足立つこの日も,さして珍しいものでもなくなってくるけれど,
私はそれなりにこの日を大切にしていて,毎年「今年のバレンタインは何が欲しい?」と尋ねてはみるけれど,
「俺は何もいらない」,と決まって答える緑間くんは,占いのその日のラッキーアイテムを除いては,本当に欲がない。
毎年ちょっとお財布が古くなってきたかな,とか,キーケースとか便利かな!とか気を利かせて何かしらプレゼントしてはいるけれど,
それなりに喜んでくれているようには見えるが,とにかく何もほしがらない。
かと言って,「お前と過ごせれば何もいらない」なんてキザなセリフを吐くなんて,緑間くんに限ってもちろんありえるわけでもなく,
またそんな風に思ってもらっていると思えるほど,私はナルシストでもない。
とにかく今年もやっぱり緑間くんに「俺は何もいらない」と言われ,悩みに悩んだ挙句,お店で見つけたとても肌触りのいいマフラーを,
マフラーは初めてのクリスマスプレゼントであげたな,とは思いつつ,
冬場は常に巻いてくれていたのでもうずいぶんボロボロになってきているなということで,チョコレートとは別にあげることにした。
年々お給料と比例して少しずつ値段とブランドの格が上がっていくチョコレートを今年はどれにしようかと選びながら,
そういえば,高校大学くらいまでは毎年チョコは手作りしていたのに,社会人になってからいつの間にかデパートで買うようになったなと考えた。
特に意味はない。ただ単に見栄えがいいのと,デパートで高級チョコを選んでいる自分に,社会人だけの特権という優越感を感じられるだけの話だ。 基本的に例年通りのバレンタインになりそうではあったが,今年はちょこっと違ったのは,緑間くんから待ち合わせ場所の指定があった。 いつも通り,特別な日だから美味しいものでも食べに行くか,私の家でちょっと凝った手料理でもふるまってまったり過ごそうか,そんな構想があったのに, 挙句の果てに青山なんて,普段の彼の趣味嗜好から言えば縁遠い場所であることは無論言うまでもなく, 待ち合わせ場所を指定してくるということは目的地も決まっているということだろうから,お店の予約もできるはずもなく, 緑間くんが私とのデートでレストランを予約する,なんて長年の付き合いの中でも一度もなかったはずだから,私はわくわくするというより少し恐怖を感じていた。 当日,今年のバレンタインは運悪く平日で,仕事帰りに待ち合わせ場所の青山の交差点に行くと,少し緊張した面持ちの緑間くんがいた。 今日は私が緑間くんに愛情を伝える日だから,緑間くんはどちらかというとエスコートされる方で,特に気合いを入れる必要性なんてないはずなのに。 緑間くんの表情の理由がよく分からないまま,特に何も言葉を発することなく進み始めた緑間くんのあとを,私は小走りでついていった。 向かった先は,すっごくおしゃれな結婚式場に併設されているレストランだった。 そういえば,大学生の時,友達がここで結婚式をあげたいのー!!なんて騒いでいたのを思い出した。 “結婚”,正直,相手もいる分,そう遠くない未来に訪れればいいなと願う幸せの中でも,第一候補である。 年齢が,一つ,また一つと上がっていくうちに,期待は小さくなることを知らず,胸膨らむ一方だ。 緑間くんは真面目で,事恋愛に関しては本当に真面目な人だと長年の付き合いの中で私は思っているから,年齢的にも何も考えてないわけでもないんだとは思うけど。 お互い大学を卒業して,ようやく仕事が楽しくなってきた年頃だ,なのでまったく焦っているわけではないが, 緑間くんは,私と結婚したいなとか思ってくれたことはあるんだろうか,私の目線のずいぶん上に位置にする長いまつげを横目で見つめながら,考えた。 そんなこんなで着いた先では,おしゃれな店内と感じのいいスタッフさんの対応と,本当に美味しいお料理が出迎えてくれた。 正直「今日は誕生日だから,ちょっと美味しいものを食べに行こうね!」と今まで食べに行っていたものより明らかにずっとお高いものだったので, 私は自分の財布の中身を指折り数えたが,緑間くんが「俺が払う」と,さっと全額払ってくれた。 緑間くんはこう見えてもかなりのレディファーストで,女にお金は出させないとお金はいつも全部払ってくれていたが, 緑間くんの誕生日など,「今日は緑間くんの特別な日だから,私に払わせて」というと渋々私に払わせてくれていた。 今回も例に漏れずバレンタインだからと進言したが,珍しく払わせてはくれなかった。 助かったというべきなんだろうが,やはり今日の緑間くんには違和感しか感じ得ない。 お店を出たらすぐに帰路に着くかと思いきや,自動ドアが閉まると同時に,左手を差し出された。 初めてだった。私がどうしても緑間くんと手をつないで歩きたくって,自然に手を近づけていって,柔らかく握って歩いたことくらいしかない。 それも人通りのない暗がりでしか,まだその結婚式場の敷地内で,こんな明るく周囲にも人が行き交っているような場所で,緑間くんが私に手をつなごうとしてくるなんて。 どぎまぎしながら右手を差し出すと,不慣れな手つきで指を絡め,私の手を握ったまま,出口とは真逆の,長い長い赤いカーペットの上を,ゆっくり,ゆっくりと歩き始めた。 「緑間くん,出口はあっちだよ」,という私の声を聞き入れずに進む緑間くん,手を引かれたまま何が何だかわからないと半ばパニック状態の私,進んでいくと,その先はチャペルへと続いていた。 もう驚くを通り越して唖然としている私と始終緊張したまんまの緑間くんが扉の前に立つと, 両扉が自動的に開き,夢にまで見た,キャンドルで淡く幻想的に彩られたバージンロードと祭壇が待っていた。 緑間くんはいったん立ち止まって小さく深呼吸をして,絡めていた指をいったんほどいて,左手を軽く自分の腰に置いた。 私は働かない頭で緑間くんが腕を回してほしいと思っていることは理解でき,腕を組んだ。 ゆっくり,ゆっくり,進んでいく。ほんの1,2分の間のことだっただろうが,永遠にも感じられた。 祭壇の前まで来ると,緑間くんがこちらを向いた。私も緑間くんの方を自然に向き直り,私たちは対面した。 緑間くんが,上質なコートのポケットから,小さな箱を出した。その特徴的な箱,女の子なら,一目で何が入っているかなんて理解できる。 緑間くんが箱の側面の中心についているボタンを押すと,チャペルのシャンデリアやキャンドルの淡い光を一身に受けてきらきらとまばゆい光を放つ透明な石が付いた指輪が現れた。 「」 緑間くんが私の名前を呼ぶ。私の左手を取って,薬指にその指輪をはめてくれた。 いつ私の指輪のサイズを知る機会があったのか,歴代の自分が買った指輪よりサイズがぴったりで,めまいがしそうなほどの幸せに,もう,すでに私の涙腺は決壊寸前だ。 「長い間待たせて済まなかった。俺と結婚してほしい,一生俺のそばにいてくれ」 この美しく輝かしいチャペルのように,ただただ未来が美しく輝かしいものに見えた。 この先も,ずっとずっとこの人と,この幸せな未来を歩いていこうと,ただ思った。 この先にもっと大きな幸せが待っていると知るのは,まだもうちょっと先のお話し。 top |