ムカつく女がいる。


「緑間くん!」


同期入社の,両手を合わせ目をキラキラ輝かせ近づいてくるその女を俺はいつも通りあからさまに顔をしかめてにらみつける。


「先に言っておくが,俺は知らんぞ」
「緑間くん,お願いだから聞く前から断らないで!」


と少しだけ悲しそうな顔はしつつもまったくひるむ気配もない。本当にこいつの図々しさと言ったら女とは思えないほどだ。


「断るに決まっているだろう。お前がそんな顔で近づいてくるときはろくなことがない」
「違うの!!なんかまたパソコンが変になっちゃったの!!」
「やはりろくなことではないではないか!いい加減に自分で何とかしろ!」
「だって自分じゃどうしようもできないから頼んでるんじゃん!!」
「別に俺以外の人間にだって頼めるだろう!他にいくらでもいるではないか!なのにどうして俺ばっかりに頼んでくるのだよ!」
「だって緑間くんパソコン詳しいじゃん!緑間くんにしか頼めないんだもん‥!」


「緑間くん,お願い‥!」と上目遣いで懇願されるハメになってしまい,俺は思わず舌打ちをした。 こいつは俺がその目に,その言葉に弱いことをわかった上でやっているに違いないのだ。 はぁ,と深いため息をつき,作業に取り掛かる。表示されているエラーメッセージから何となく状況を把握することができ,いつも通りさっと終わらせてやった。


「すごい‥!緑間くんやっぱすごいよ!もう元通りになってる!!」
「俺は別にすごくない,お前がひどすぎるだけだ」
「ううん,緑間くんは本当にすごいよ!」


いつも通り,ふにゃりと笑ってこいつは言う,「ありがとう」,と。 その笑顔に思わず目を逸らす中で,やはりいつも通り,ちらっとこの女の薬指で輝く指輪が目に入り,俺は無性に苛立ちを覚えるのだ。 本当に腹立たしくてしょうがない。こいつにお礼を言われた程度で,こんなにも胸が高鳴ってしまうなんて。 ――もう好意を抱くことさえ,許されない相手なのに。


いつまでも,永遠にこんな関係が続くと思っていた。こいつが俺に頼みごとをしてきて,俺が嫌々応えてやる。 次第に距離が縮まっていき,そして――なんて話も,もう全てが夢物語なのだ。 飲み会で恋人の話になってもへらへら笑うだけで何もしゃべろうとなんてしなかったくせに,ふと職員名簿を見ると,いつの間にか苗字が変わっていた。


もうお前は人妻なんだぞ,他人の女なんだ,それをよその男に気を持たせるようなことをぽんぽんと口から出まかせに言いやがって, 大体距離が近いんだ,シャンプーだか何だかの淡い香りが漂って, 初めて見かけたときからすっかり伸びてしまった長い長い黒髪に,すっかり慣れてしまったのか綺麗に施された化粧に,白い肌に,長い睫毛に, くりくりとした大きな黒目に,淡いピンク色の唇に,3年前の入社式,初めてお前を知ったあの日から,お前の全てが俺の心をこんなにも乱すのに,結婚なんてされてしまったら, 俺はこの異常なまでのいら立ちをどこの誰にぶつけたらいいのか。


神々しいほどの光の中に浮かび上がる真っ白で無垢な彼女の姿を見て,俺の中でそれまでに感じていた苛立ちがすっと消え,ただただ切なさだけが心に残った。


もっと早くに,たった一言伝えることができていたならば,何かが変わっていたのだろうか。
――もう今となっては,その答えを知るすべさえも,ないけれど。







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