今日は帝光中学の卒業式。いつになく緊張した面持ちの卒業生とは裏腹に,在校生の多くは色めき立っていた。
卒業生にとってはもちろんのこと,今日は在校生にとっても大切な日。大好きな先輩の第2ボタンをゲットできるかどうかの勝負の日だ。
例年行われている恒例の行事だろうが,今年はあの有名なキセキの世代が卒業するとあって,それはもう多くの女生徒が意気込んでいた。
トイレに行くと,ヘアスタイルやメイクをばっちり決め,鏡の前で入念にチェックをしている女子で溢れていた。
もうその気迫だけで圧倒されるレベルだ。
私はというと,正直なところ,意中の先輩は,いる。
だからといって,競争率の高さは,そのキセキの世代の中でも随一,自分なんかがボタンをゲットできるなんて夢にも思っていないので,第2ボタン戦争からは初めから離脱していた。 ただずっと,憧れていた。付き合いたいだなんて,お近づきになりたいだなんて,そんな大それたことを考えたことなんてない, ただ,遠くからあなたを見ていられるだけで,それだけで本当に満足していた。 けど,もうそれも今日で最後だと思うと,一分一秒でもその立ち姿を目に焼き付けておきたいと,強く思った。 とはいえ式の間は私の指定された位置から彼はものすごく遠く,高身長のために飛び出た煌めく金色の頭一つ以外は全く姿さえ見えずに, 式が終わると今度はたくさんの女生徒に囲まれもみくちゃにされた困った表情の彼の顔くらいしか見えず,この2年間の片思いは,儚く終わった。 諦めていたくせに,家路に着こうとすると,彼の第2ボタンを勝ち取った幸運の女生徒は誰なのだろうかと,ちょっとだけ考えたことが頭の中でどんどんどんどん膨れ上がって,大きくなった。 やっぱり2組の萌絵ちゃんかな,だって,ずっと黄瀬先輩のファンだったみたいだし,すっごく可愛いし,黄瀬先輩と並んだとしても,すっごくお似合いだと思うし。 今日の気合の入りようもすごかったもん,けど,結局こんな気持ちになるんだったら,ダメ元でも第2ボタン戦争に参加するべきだったんだろうか。 ううん,でも目の前で他の可愛い女の子に笑顔で第2ボタンを渡す黄瀬先輩を見ることになるんだったら,やっぱり参加しなくてもよかったんだと, 校門へ向かって歩き始めると,遠くから声が聞こえた。 「おーい!!」 後ろを振り返ることなく,私は校門目指して歩く。 「おーい!!」 ‥‥?先ほどより,声が近づいた気がする。ただあまり馴染みのない声だったせいか,私を呼んでいるはずもなく,やっぱり振り返ることはせずに,前へ前へと進む。 ただ,近くで聞くと何となく聞き覚えのある声ではあるなと感じて,気にかかり, 「結城さん!」 とうとう名前を呼ばれたことで振り返った私の目に飛び込んできたのは,息を切らしながら胸を上下させる,笑顔の黄瀬先輩だった。 「もう,追いかけたんっスよ,よかった,結城さんが帰る前に見つけられて」 それはもう天変地異でも起こったのかという感じで私はただ瞬きすることしかできず,声を発することもできなかった。 私の目の前に,黄瀬先輩が‥!それも,もう二度と見かけることもないのかと諦めた瞬間に。 挙句の果てに,私を追いかけてきてくれた,なんて。だって,今まで話したことがある,どころかすれ違ったことさえもほとんどないのに! 「ごめんね,いきなり声かけられて驚かせてしまったかもしれないっスけど,これだけはどうしても結城さんに持っていてほしかったんっスよ」 そう言って差し出されたのは,帝光中の制服のジャケットのボタンだった。 黄瀬先輩のジャケットを見ると無残なほどに全てのボタンがむしりとられ糸が垂れているような状態だったが,これを私にくれるというのだろうか。 私は驚きすぎて脳が目の前の状況を受け入れることができずに,ただボタンを見つめて呆然と立っていた。 「いつも応援とか,来てくれてたよね。だから,ボタン全部むしりとられながらつい結城さんの顔が頭に浮かんで。頑張って死守したんっスよ!」 私の手を取って,手のひらにポン,とボタンを乗せると,「あ!黄瀬くんいたー!」「黄瀬せんぱーい!」とたくさんの女の子たちの声が聞こえてきて, 彼は「やっべ!」と慌ててその場を離れようとしたが,もう一度私に向き直って, 「俺,海常高校に行くことになったっスから。結城さんにまた会えるのを,待ってるっスよ!」 と,私に満面の笑顔でそう言い残し,走って行った。 夢見心地だったが,黄瀬先輩に触れられた手から感じる熱が,この手のひらの上のボタンが,私に今の出来事は夢じゃなかったと,訴えかけてくる。 私は,黄瀬先輩に出会ってからの2年間への感謝と,彼と離れ離れになる寂しさと,1年後の高校生活への期待を胸に,どんどん小さくなっていく黄瀬先輩の背中に向けて, 「今までありがとうございました!」 と言葉を送った。 top |