「明後日の自由行動,一緒に回らねぇ?」 部活終わりのいつもの帰り道,「よっ」といつの間にか隣を並んで歩いていた信史に少しずつ赤く染まる頬を気づかれないよう俯き,お互いの家への分岐点まで二人で向かう。 明日から修学旅行だ。修学旅行だからって,つまらない授業に出る必要がないだけで,特に楽しみがあるわけでもなく, それどころかいつも以上にかっこいいだのなんだのちやほやされて,女子たちに囲まれる信史の姿なんて見たら, もうそれ以外がどれほど楽しかろうと,私にとっては最悪の修学旅行になるに違いない。 以上の理由から何一つ楽しみでなかったはずの修学旅行が,信史の一言によって,その後の人生までがらりと変わってしまったと錯覚するほどの,きらきら輝いたものになった。 それほどまでに,私にとっての信史は,かけがえのない人だった。 その日の夜は期待に胸膨らませ眠ることすらままならないほど楽しみで楽しみで仕方なかったはずの修学旅行が,次の日にはもう,私の一生のうちの最大の汚点と化した。 A組の生徒が乗ったバスの後ろ,私たちC組の生徒が乗ったバスの前,B組の生徒たちが乗ったバスは,同じ目的地に向かって仲良く縦に並んで走っていたはずなのに, 「あれ?B組のバス,急に列から外れたよ?」 「どうしたんだろうねー」,遠くから聞こえてきた話し声についても,見えなくなったB組のバスについても,私は深く考えることもなく, 次の日の自由行動,信史とどこを回ろうか,信史と何を話そうか,頭の中はそれでいっぱいで,あの時の私はなんて脳内お花畑だったのだろうかと,心から悔やまれる。 それから終日,B組の生徒を誰一人として見ることもないまま,3年生の誰もがさすがに不審に感じた頃には夜が来て, テレビのニュース速報で流れた文字が目に留まった時から,私の時間は,永遠に止まった。 今日でこの歌を歌う機会なんて最後だろうに,やはり声を発する気にもなれず,いつもの全校集会よりは歌っている人が多く聞こえる校歌に口パクすら合わせることなく, A組と私たちC組の間に置かれた,誰も座ってない42席のパイプ椅子をぼうっと見つめた。 もし,信史が生きていたら座るはずだったあの位置,一瞬だけ信史がいたような気がして目を見張っても,やはりがらん,とした空気しか残っていない。 だって,数カ月たった今でも,“信史が死んだ”なんて信じられないのだ。お葬式だってした,嫌ってほど地獄のような現実を何度も目の前に突き付けられてきたはずなのに, 「“ドッキリ成功”だな,!どうだ?驚いただろ?」 なんて,またあの信史特有の特徴的な笑みを浮かべて,目の前に現れる気しかしないのだ。だってまだ15歳で,信史は15歳とは思えないほど大人びてて, 殺したとしても死なないような男で,かっこよくて,頭がキレて,スポーツ万能で,不快なほどモテモテで,小さな頃から私にとっての永遠のヒーローで, 信史の死が受け入れられず辛く悲しく涙が止まらなくなって,信史を死に追いやった見えない敵を恨んで恨みぬいて無性な苛立ちを感じて, かといってその人も生きるためにどうしようもなかっただけで,やっぱり悪いのはその人ではなくこんなクソゲームを作った国家だと 私なんかが勝てるはずもない敵にやっぱり大きな大きな苛立ちを感じて,でも感情のやり場をどこにも持って行くことが出来ずに, 私はただ咽びあがってくる吐き気をこらえた。私の心も体も,あの日あのときあの場所で,すっかり壊れてしまった。 時間を巻き戻すことができるのなら,タイムマシーンがあったなら。誰しもが一度は願ったことがあるだろうこの永遠に現実になるはずもない仮定, 私なら,あの修学旅行の前日に,戻りたい。幸せすぎてて,浮かれすぎた,あの一日に,数分だけでも戻ることが出来るなら。 来年の私は,再来年の私は,3年後の私は,5年後,10年後,そのずっと未来の私は,信史がいない苦しみを抱きながらも,きちんと生きているのだろうか。 私は,信史がいない真っ黒な未来へと,一歩だけ歩みを進めた。 top |